2024.11.18
2024年11月18日
「私が変わるとキティが変わる」
キティには口がない。
主役はファンのあなた。
キティには夢がある。
そして、もっと大切なものがある。
それは「信じる心」
私から
文京学院大学講演のパワポ10分で紹介。
課題ありありだが、骨子はいいか。
0915 月曜MTG
展示会後の目標設定噛み合わず
1100 長島さん懇談
1900 原宿にて小暮さん交流会
笹木社長講演 素敵な社長だ。
麻の良さ、綿の良し悪し。ブルガリホテルのローブに社名。
日本のやさしさ、思いやりが世界に通用する。
寄付経営の話が素直にできる善縁の集いよ、永遠に。
一方で、自身の紹介を一言でするとしたら?
若い経営者たち。みんな、すごいな。
池田氏より連絡 ウガンダ土地の確保完了
●今日の学び
牧口先生「価値判定の標準」(1942年2月)㊤
損得にとらわれて、善悪を無視するのは、悪である。
好き嫌いが一時的で刹那的なものであるのに対して、利害や損得は永久的なものである。(同じように)利害が個人的であるのに比べて、善悪は社会的、全体的なものである。
ゆえに、自分や家族の私益に目がくらんで、社会や国家の公益を害する者を悪人という。
◇
不善は悪であり、不悪は善である。いずれも、その最小限のものだが、
(結果的には)そうなのである。
しかしながら、不善を善と考え、悪とは異なると思って、
法律に触れさえしなければ不善は構わないと誤解する所に、
現代の病根があり、独善や偽善主義が横行する所以がある。
悪をすることと、善をしないことは、同一の行為を別言したのにすぎない。
にもかかわらず、前者は悪いに決まっているが、後者を悪とは考えず、
善であるかのように誤解して平気でいるのが、
今の世の中の常識になってしまっていると言ってよい。
(この問題の本質について、分かりやすく考えるための譬えとして)かりに私が、
君から千円を騙し取るような場合があったと想定してみよう。
君の友人が、その企みがあることを知っていながら、私を阻止せず、
もしくは君にそれを告げなかったとすれば、君からの怨みを、
両人が共に受けねばならなくなるだろう。(中略)
もしもその反対に、友人が、私の悪行を阻止するか、
君に対する善行を(私に)勧めていたとしたら、君の損害は免れたはずである。
(中略)
悪行の罪だけは誰もが数える一方で、
不善の罪を問わずに放っておく理由はないのではなかろうか。
◇
大善を嫉んで、多くの愚かな人々にほめられることを喜び、
大悪に反対する勇気もなく、大善に親しむ雅量もない所に、小善たる特質がある。
まさに、悪を好まないだけの心はあるが、善を為すだけの気力がないのは、
個人主義を脱しきれない所以なのである。
(『牧口常三郎全集』第10巻、趣意)













