2009年9月の日記
9月30日(水)晴れ
日経埼玉版に掲載。
「おめでとう!」って、レンゴー㈱の玉田氏から電話が入る。
20年ぶりくらいか?なんのことか分からず話を聞いていたら、
今日の日経に掲載されているという。
記事って、事前に確認できるもんだと思っていたら、
いつ出るかすらも分からないんだ。ビックリ。
僕の支離滅裂な話をよくまとめてくれたと関心した。
顔写真だけ撮り直しさせてもらえないでしょうか。
え?何度撮ってもおんなじ?
たしかに、
「変わり果てた姿」とか、「人相の悪いおっさん」」とか。
今日一日、電話などいただきボロクソに言われ続けた。
現場は、棚卸のためにラインを止めて、
床清掃部隊、エア配管や、スピーカー設置などなど。
今日で、激動の第8期が終わる。
9月29日(火)曇り
午後から、車飛ばして2時間半。
栃木県の壬生へ。喜市さんに久しぶりに会えた。
ケヤキの古材で作製した木製キーボード。
テンキー付きでは、初めてだ。
相変わらず喜市さんのやさしさが伝わってくる逸品である。
さっそく、テストを兼ねて日記を書いてみる。
最高の手触り。よく見ると欅にはキーの木目の楽しさがあった。
ウィンドウズマークは、黒檀で彫ってのせてみた。
材料は、
栃木県上三川(かみのかわ)町のインターパーク建設の際に立ち退きにあった
築40年の農家の廃材をで、再利用されたと思われるケヤキ。
よって、材料としては70年から80年近い古材である。
古い材料ほど、橇(そり)が少ないのでキーボードには適しているとのこと。
製作者:大倉喜市(おおくら きいち) S43.7.16栃木県宇都宮市生まれ 41歳
栃木県宇都宮市で活躍する家具職人。
完成年月日 2009.
製作日数 構想6ヶ月 製作2ヶ月
使用したキーボード:Logicool Ultra-Flat Keybord
苦労したところ:
LED電子部品の収まり。
接着剤(10種類以上購入)。
相変わらず手作りのキートップ。
次への構想も、盛り上がった。
9月28日(月)晴れ
午後、相模原老川さん来社。
夕方、ACN楠さん、小林さん来社。
夜、長根社長来社。
昨日の日経に議論が及ぶ。
一般にEMSと言うときには、台湾勢が優勢。
台湾の企業が中国工場を使っているという構図。
ここのところの台湾勢は、一朝一夕にできた仕組みではなく、
台湾に昔からPCを作ってきた歴史があるからだという。
最大手の台湾企業は、年商5兆4000億円というから桁が違う。
長根社長曰く、
「そこへ来て、品質の高まりが顕著だが、
どうやら、良品を作る仕組みができあがっている。」という。
それは、先日の吉田社長からの中国工場の報告でも感じた。
「なんとなく良品になってしまう仕組み。」
を構築した上で、それでも拾えないものを意識でカバーする。
これは、我々が目指しているものである。
もうひとつ。
『バグが出れば新品交換しますよ。』
「日本企業の神経質さとは別の文化があり、
品質の考え方の違いがメイドインジャパンの信頼になっていたが、
世界が相手の商売になったときに、そこまで必要とされるかどうか。」
いろいろと考えさせされる。
9月26日(土)晴れ
休憩場所のベンチ。
契約社員の小久保と組み立てた。
新田は、扇野から組立ての研修を受ける。
木村は、朝早く出て、客先から夕方に帰社。
3F入り口のドア
1F事務所入り口の段差
エア配管
ゴミ箱の機能性
来週のカイゼン項目だけでも、
10個くらいあるだろうか。
来月から、
管理職とリーダーは、評価内容を変更しようと思う。
内容は、実績を重視し、人材育成、リーダーシップなどを盛り込む。
9月25日(金)晴れ
「プロの意地を見せてもらいたい。」
以上、朝礼。
午前、新光電子南さん来社。
ビス欠品対策に、はかりが使えないか検討。
ビスは0.2グラム。
製品約500グラムに対して、精度を出せる秤はあった。
しかも、そんなに高いもんではない。
が、製品そのものの精度が出ていないことが発覚。
グラム単位でバラつきがあり、0.2グラムのビスの有無どころではない。
南さんには悪いことしたが、こんな失敗繰り返しながら、
いつしかいいシステムが出来ないだろうか。
この発想は、先日の「東京ばなな」の製造工場で思いついたこと。
何とか異業種から、いい発想を得たいといつも思う。
「カウンティングディスプレイ」の見積りをタカハタ電子さんからいただく。
考えていることは、まだまだいくらでもある。
ひとつ、ひとつ実現させて、
みんなが、気持ちよく高いレベルの仕事ができる現場をつくりたい。
倉井さんの紹介で、松澤紙工さん来社。
「久しぶりに活気のある現場に、元気をいただきました。」
とお帰りになった。
昼には、藤谷さん来社。
真剣勝負で取り組む現場に「ビビリます。」との言葉。
ちょうど3Fも、「今日こそは結果を出す!」と、
必死の取り組みだったから余計だ。
午後、木村、宮崎、諏佐が、協和さんへ飛んだ。
やりかけた仕事は終わらせたいとのことで、帰社は24時。
9月24日(木)晴れ
「腹の決まらないリーダーなら降りなさい。」
「一人になっても、必ず結果を出してみせる。」
リーダーは、そういう気持ちで望むもんだ。
そういう心意気を感じて、スタッフがついて来るんだ。
自分なりに一生懸命やっていると思っているが、
どこかで、誰かが助けてくれると思っている。
こういうチャンスは、人生の中で何度かやって来る。
そのたびに、「ああ、大変な苦労背負ったなあ。」
と思うか、「よし!いっちょやったるか。」と思うか。
プロジェクトが立ち上がるときに声がかかるということは、
素晴らしいことなんだ。「やろう!」か「こなそう」か紙一重だよ。
このプロジェクトで、やり切ったことが、
これからの人生で、絶対に生きてくる。
僕は、それを考えてるんだ。
やり過ぎて失敗したことは、僕が土下座して謝りに行く。
それくらいの覚悟は出来てる。だから任せるんだ。
会社に都合がいいから、やってくれじゃない。
自分には、ちょっと負担が重いかも。
そういうところで、一歩踏み込んで頑張ってみるんだ。
業務終了後、谷本と懇談。24時帰社。
日中、ミクロトータルサポートの黒田社長から差し入れを頂く。
午後は、協和さんへ。
9月19日(土)晴れ
1Fは、作業。3Fで棚卸準備やカイゼン。
カイゼン提案がたくさん出る。
●3Fの構内放送が聞こえずらい。
→扇野がスピーカーを設置。
提案、実行共に扇野。
●ライン治具修正。
→提案現場、実行木村。
●指差し呼称の徹底。
→全作業者の動画を撮って翌日上映会。
提案佐藤 実行現場
●情報共有
→ホワイトボードを他フロアのモニターに映し出す。
提案海野技研さま
→インカム
提案佐藤
●進捗状況の表示方法
→赤外線電光掲示
●休憩スペースの囲い、椅子、
●3Fの出入り口の混雑。
→3Fの扉反対かスライドに。
●2Fへの行き来遠い。
→2Fへの出入り口ほしい。
●1Fの事務所の段差をバリアフリーに。
●PCの健康状態
●メールマナー
などなど。
9月18日(金)曇り
どこかに、はたけんみん病院というのがあるそうだ。
救急患者を断ったことがないという。
いろいろな工夫を凝らしていた。
・一般では通常34日の入院日数を、平均15日まで縮めた。
つまり、救急医療を終えると速やかに転院をしてもらう。
・ドクターの自宅には、病院の内線電話があり、呼ばれると3分で登院。
学ぶべき点が多い。
しかし、限界も近いとのこと。
救急患者は、4割も増加しているのに、ドクターが減っているとのこと。
「やるしかありません。」と、ドクターがコメントしていたがヘトヘトに疲れていた。
地域の方々や、救急隊は非常に喜んでいる。心意気は大事だ。
が、現場に負担かけない方法、仕組みをつくっていかないと。
午後、エナックス様の矢部取締役と山本さん来社。
製品の後加工の打ち合わせ。
治具を加工して、休み明けから作業に入ることになった。
山本さんにEVに乗っていただこうと道路に出ようと思ったところで、
止まってしまった。汗、汗、汗。。。
アクセルを踏むと電圧が急激に下がる現象。
「ほらね。だからバッテリー供給して下さいって言ったじゃないですか。」
とか、苦し紛れの言い訳。
かえって専門の矢部取締役に、いろいろとご教授いただく。
夕方、山田社長から久しぶりに電話。
「日本は陸上のリレー。
バトンタッチをする、なんとかゾーンがある。
次の人のこと考えて仕事している。
ほかは水泳のリレーである。」と。
夜、検査治具を持って、羽村金型さんへ。
池羽さんの仕事する姿に、惚れ惚れとしてしまった。
こんな真剣な池羽さん見たことがない。
9月17日(木)晴れ
佐藤氏入社。
ロボットの調整に入る。
派遣は13名。
スポットの派遣への指導がもたつく。
なかなかスピードに乗れない。
課題は、まだ多い。
一名の派遣スタッフから、虚偽の報告があり、
今日一杯で退社していただくことにした。
能力の問題じゃない。嘘は許されない。
メーカーの工場内で虚偽報告がまかり通れば、
取り返しのつかないことが起こり得る。
協力工場の生産数に不安あり。
メインラインから人をはずして、
午後から、宮崎、金子、ポリイ、自分の4名で、
ユニバーサル電気様へ応援に行く。
何とかピストンで間に合わせた。
間に合わなくなる理由は、部材支給や工数や、人員など複数ある。
が、恒久対策を取りながら、暫定の対策をするしかないのである。
その瞬間のひらめきで。零細企業に評論家はいらない。実行力が必要だ。
夕方、CASIO様の出荷を無事終える。
長崎はじめ、経験者がよくやってくれた。
ブランクがあって、再生産をする時が一番大変なんだ。
<昨日の事前説明会から>
●プレゼンは、自社紹介にとどまらず、顧客メリットに変換しなさい。
「御社の○○システムに、弊社の△△技術を採用すると、
××のような他社にない新しいシステム・製品が出来ます。
コストが2割削減できます。」
●「最初に1行で結論を書け。
事業計画のプレゼンは1000パターン考えろ。」ソフトバンク 孫社長
9月16日(水)晴れ
「何時に入りますか?待ってます!
じゃないと、明日の納品に間に合いませんから!」
一年ブランクの空いたデジカメユニットの仕事を、
長崎が立派にラインを立ち上げた。
明日の納品に間に合わせようとするが、
部材が入らない。結局、夜7時に入荷。
それから、作業を始めて今日は23時に終了。
ラインのリーダーがここまで踏み込んで、
意識を持って対応してくれると非常にありがたい。
谷本、宮崎は、昼休みに資材の片付け。
昼休みに仕事することは、良いことではないが、
午前のバタバタに、午後のリベンジを誓っての行動と見える。
毎日、毎日悩んで悩んで解決して、それでも問題が出てくる。
まさに、リーダーのOJTだ。
最後のシフト決定まで、悩みに悩みぬいて。。
もっと近いところに置けないか。
もっとムダを省けないのか。
もっと早くできないのか。
もっと人を活かせないか。
夜、残って検討する時間が無駄なように見えるが、
考えた分だけ、次に活きて来る。
その時間を大事にしたい。
夕方、国分寺労政会館にて、
技術連携交流会2009の事前説明会へ。
帰りの車中に、
「貨物エレベータが止まった!」との連絡あり。
会社に戻って、見てみるが、業者はもう対応できない時間。
明日の資材も、まだ上がっていない。これは大変。
扇野と木村と修理に入る。
エレベータの底に潜って、配電盤を開けると、
モーターのブレーカーが落ちていた。
上げても復帰せず。
電源部の端子が腐食していてのを発見し、社内にあるビスで対応。
それでも動かない。タイマーのリセットボタンがあった。
SWの入る音だけするようになった。
何よりも、ワイヤーが絡んでいるのを発見。
籠を落ちないようにしておいて、
このぶっといワイヤーを引き出して巻きなおした。
動いた・・25時終了・・・
9月15日(火)晴れ
「先月の短期の人、もう一度戻せませんか?」
谷本から、昨日の深夜24時10分にメールあり。
検査のセクションで活躍できるのではないかとのこと。
なるほど、確かに名案だ。
いいスタッフはいるが、長期の約束ができない。
スポットのつなぎ合わせの中での人員の問題は、非常に難しい。
今はまだいいが、景気が良くなった時の派遣はなかなか安定しない。
谷本は朝も早く出てきて、準備に取り掛かった。
必ずしも、時間を費やすことがいいことじゃないが、
自分が責任を持つ。という意識が強く感じられた。
その一人がいれば、組織は前進する。
一人がいることが大事。
朝、一人退社。
午後、ヨシダパッケージさんへ。
大変な頂き物をする。後が怖い。
外国人研修制度や、財務管理のことなど、
種々ご指導をいただく。
ありがとうございました。
コピー機積んで帰社。
9月14日(月)晴れ
「リーダーごっこやってんじゃないんだよ!」
谷本にものを言う。
「終わる時間からの逆算だよ。
計画通りにいかなくて、みんなに手伝ってもらって、
結果的に22時に終わりました。
なんてのはリーダーの仕事じゃない。
ラインリーダーは、計画を立てたら、何としても死守する。
そのための段取りを120%しておく。
その上で、当日に起きた事象に対する対応力があるかないかが、
本来のリーダーの能力の問われるところだ。
段取りすら出来てなくて、計画通りにいかないなんてのは、
リーダーごっこだよ!
明日は、絶対に17時までに終わらせる。
そういう思いで、現場を見てみろ。シフトを確認してみろ。
終わるように段取りができているか、シフトされているか。
その腹が決まってたら、見えてくるんだよ。」
夜、レイアウト調整、シフト等々。
量産組立ての現場というものは、やっていることは簡単だが、
品質とタクトバランスを取ることが非常に難しい。
ちゃんと準備したのにということが、たくさんあるのである。
簡単に考えて参入してくる工場がだいたい2ヶ月で撤退していく。
夜、石川實と電話で語り合い。
システムの一人走りで、
システムに人間性が負けてしまっているのではないか。
サブプライムもリーマンもGMも。
システム依存で、一人で出来ることが少なくなっている。
個人の埋没。
出来上がったシステムのシンボルが自民党になってしまった。
ぶっ壊したいという
その後、
40代男性がテーマに。
ホルモンバランス。
OKIワークウェルの話。などなど。
元気の出る会社。というがいいのでは。
9月12日(土)晴れ
木村、谷本、宮崎、新倉、新田、伊藤、飯高。
7名で神奈川へ。
終了が20時に。22時帰社。
「プロである以上、
お客様に迷惑をかける訳にはいかない。」
皆、そういう気持ちで対応してくれた。
ありがたいことだ。
川畑に会う。
元気そうで、本当に嬉しかった。
9月11日(金)晴れ
「声が出てない!指差し呼称が出来てないんだよ!」
組立て工程に大きな声を出した。
体育会系のコートのようだが、
我々は毎日戦っているのである。当然だ。
プロなら、意地でも次工程にNGを流すな。
「検査工程で抑えるのではありません。
作業工程で次に流さないのです。
今後一切機能不良を流出させない!」
と朝礼にて確認をしたばかりだ。
木村、谷本、新倉、山崎が、朝7時半出発。
夜になって、出かけ中の自分に電話が入る。
木村から別の件で対応とのこと。
差し入れ持って22時帰社。23時終了。
明日の神奈川行きに手を上げてくれたのが、9名。
9月10日(木)晴れ
日経記者の天野さんが来社。
ふじみ野駅へ来られるとのことで、
電気自動車で迎えに行く。
EVの自慢してたら、会社寸前で電欠。
いい具合に三芳町の趣きのある林の前だったので、
「じゃあここで写真撮っちゃいましょうか。」ということになった。
2001年からの経緯など聞いていただき、工場内を案内。
あわただしく終わり申し訳ないことをした。
この間、NGの知らせが入り、木村が動いていた。
現場のラインに徹底してから、協力会社に飛んで原因追求。
電話が入る。
「社長さあ。世界一のEMSとか口ばっかりじゃない。
見てないって事でしょ。管理できないんだったら外注出さないでよ。」
悔しい。
木村、小久保、谷本、新倉を飛ばせた。
管理職とラインリーダー、資材責任者が飛んだので、
現場は、自分と、宮崎、中本・山崎がそれぞれ対応した。
卒業制度が活きた。
宮崎は、ラインリーダーを谷本に引き継いで、
今日は、別の現場に入っていた。が、こういう事態になったので、
午後からシフトを変更。ラインのリーダーに戻った。
この際だがらと、部材の置き方や、前加工とのバランスなど、
カイゼン項目を探しながら、自分も現場に入った。
「あきる野から相模原へ行きます。」
と電話が入ったのは、夕方だった。
現場は、明日の準備も含めて、21時まで対応。
NG対応組みは24時帰社。
あまりのあわただしさに、給与を手渡せなかったスタッフ数名。
すみませんでした。
9月9日(水)晴れ
朝礼前に作業台の大移動。
朝礼では、指先呼称の徹底。
そして、今日からの生産の仕組みの確認。
・翌日準備は、3時までに。
・ライン作業者は、終了後に翌日分前加工に移動。
・梱包は3Fでパレット積み。協力会社のNG対策。
午前現場に入り、ラインの仕組みを仕上げる。
これで、明日以降はほぼ大丈夫というところまで来た。
午後、足立へ。
1社訪問後、飯島製作所訪問。
ベルトサンダーをお借りする。
高速を飛ばして、狭山へ。
秩父との交流で、
矢尾百貨店の方々。
埼玉富士の山口さん、小室さん、小池さん。
秩父電子さんなどなど名刺交換。
明治大学の学生とも。
先々月はトヨタを、
先月はニコンを見ました。と。
羨ましい。
いいなあとの私の声に、
10月に森下教授から京都の企業へ行こうか。
とのお話をいただく。
9月8日(火)晴れ
朝礼終了から、1台目生産までに7分50秒。
10秒タクトで47台の生産ロスをしたことになる。
休憩前後のもたつき、翌日準備の仕方。
ひとつひとつが課題だ。
あれもこれも、リーダー育成中なので仕方なしとするか。
他の工場では珍しくない光景でも、
MIYOSHIが世界一機敏な工場を目指すというなら、
これでいいはずがない。
木村、宮崎、谷本、小久保、新田ほか、
希望通りの強力な布陣を整えての2日目。
みんなやる気があるだけに空回りさせたくない。
6時前には手空きの作業者もいたのに、
今頃から受け入れ検品が始まる。
それぞれが仕事をこなしているが、
あまりのチームワークの無さに我慢ならず、
木村に怒鳴り散らした。
「何時に終わるつもりで仕事してんだ!
マネジメントしろ!何のために体制つくったんだよ!」
木村が悪いわけじゃない。
自分が悪いのだ。
任せるところとサポートするところ。お膳立てをしてあげるところ。
組織のあり方と時間の進み方と。もっともっと配慮しないといけない。
夜、レイアウト変更の打ち合わせから加わった。
今日の作業でのロスから、明日以降の生産に向けて、
より良いラインへのカイゼンの提案が、谷本からあった。
自分からも提案させてもらい、変更作業に入る。
ラインを立体的に使う方法。そして、タクトバランスに左右されない手法。
イメージはいいが、残念ながらコロコンが転がらず私の提案は失敗。
が、新倉が作ってくれた取り外し式の棚でいろいろなことができることが分かった。
レイアウト変更と翌日準備を22時半で切り上げた。
「仕事は、終わりの時間を決めなさい。」
9月7日(月)晴れ
1名入社、派遣5名が合流し、いよいよラインスタート。
朝礼では、
・新人の自己紹介。
・作業研修のあり方について
・電話を3回以内で取るプロジェクトチームの発表
土曜日に遅くまで(24時まで)かかって、
木村、谷本、小久保、新田が準備をしていたので、
すぐにチームに分かれて作業説明などしていい感じだった。
自分もストップウォッチ片手に、ラインに入る。
ライン運営も簡単ではない。
谷本も必死だが、なかなか思うようにいかない。
現場に入り、ついつい言葉を出してしまう。
この2日間ずっと考えてきた反省もあったからだ。
通常、ラインづくりは生産技術の仕事だ。
MIYOSHIでは、オールラウンドでなければと言いながらも、
背中見て覚えることもたくさんある。時間も少々かかる。
厳しいところは、自分が現場で指揮取りながら、
感じてもらうことも必要と思った。
昼で一旦、レイアウトの変更をかける。10分くらい。
午後は、ロボットのセッティング。
15時、ENAX様を訪問。
夕方帰社する。
17時でラインは終了し、翌日準備に入っている。
「100%段取りしたつもりで、対応できる程度のイレギュラーに遭遇すると思え。」
と、リーダーに伝えて考えうる準備をとことんやってもらう。
少しでも段取りに不安があったり、人任せの要素があれば、絶対にうまくいかない。
環境は、100%つくる。
その上で、人材については配置と共に、トレーナーの配置までを詳細に決めておく。
その上で自分はフリーにしておく。それくらいの予定が組まれていないと対応できない。
現在庫の合わない資材は、22時まで確認作業に追われた。
それでも、また一歩前進できたと確信する。
「人材は、サーチライトをあてるようにして探すんです。
そして、育てるんです。」小久保。
9月4日(金)晴れ
今日からスタートのラインに部材が間に合わない。
「量産計画に対しては、資材は絶対に切らさない。」
あたり前のことだが、
お客様から部材支給を受けることが多い我々には難しいことだ。
午前の計画を午後にした。
その上で。。。
計画がボロボロに変わっても、柔軟に対応できる現場を持つことが、
EMSにとっての一番の武器である。
昨日も、CANONの現場に横山さんと峯村さんが研修に入りました。
「卒業」という概念からです。
ひとつの現場をマスターしたら、卒業して次のスタッフに譲る。
せっかく覚えたのに、その現場は次の人に譲るのです。
これを繰り返していくことで、今回のような非常事態が起きた時に、
対応できる力をつけていくのです。以上、朝礼。
昼、吉田さんと池羽さんが来社。
吉田さんから、種々ご指導いただく。
・すべてYesの取り組み。
・早く立ち上げるための研究所(ラボ)構想。
・MIYOSHIの損益分岐の考え方。
(1000万出て初めて黒と思え!)
・大手へのコンサル
・海外戦略
工場内を見ていただいて、意見交換して、
帰るときうちの山崎と名刺交換をしたとき、
お互いに何かがはじけたようだ。
自己紹介から、ここでは紹介できない。
9月スタートのラインが、今日スタートした。
「ラインのスタートって、こんなに緊張するもんですか?」
と、谷本は出社。
たかが組み立てだが、されど組み立てだ。
思った通りの生産にならなかったと思う。
基板実装屋さんや、成型屋さんが簡単に考えて組立てをやろうとするが、
たいてい撤退をする。
品質を保とうとすると合わないし、合わせようとすると品質に影響する。
一番簡単なようで、一番難しいのが組み立てなんだ。
その現場のリーダーを勤め上げることができるというのは、
凄いことなんだ。
夕方、
佐藤、扇野、木村、朋子、小久保、新田、宮崎、谷本、長崎、中本、山崎、研一
の12名集合。
「電話は3回以上絶対にならさない」プロジェクトチームを発足。
「『世界一機敏な工場』を目指していて、電話が鳴りっぱなしってないよね。」
次は2回です。最後は鳴る前に電話に出るのを目標にします!以上。
9月3日(木)晴れ
朝、フジライン別役さん来社。
見積りの件で打ち合わせ。
宮崎、谷本中心に行ったライン作りが写真。
松永社長と昼食。
採用のこと、労務のことなど種々意見交換。
午後、ライナックス長田部長来社。
今後のものづくりのあり方について討議。
午後、北野さん来社。
あきる野の福村さんと共に来社。
現場をご覧になって、
「非常に合理的な、いい現場ですね。」
とお褒めの言葉をいただいた。
その場で、あきる野の会社に電話してマッチング。
近々名刺交換していただくことにした。
9月新規の立ち上げで、資材が受け入れ、
次々と払い出しが始まる。
いろいろと理由をつけて立ち去る協力工場がある。
偉そうで申し訳ないが、
今回は試金石だと思っている。
お客様の要望に応える会社か、自分の都合で仕事する会社か。
MIYOSHI自身が試されている。
志を同じくする協力工場のネットワークを作りたい。
明日の立ち上げに対して、結局夜遅くになる。
谷本から、最終の報告を受ける。大事なことだ。
「今日出来るところは終わりました。
明日は、こういう内容です。」
「明日の配置のねらいは?」
宮崎がフォローする。
現場の立上りに時間はかけられないが、
人材育成には時間をかけないといけない。
9月2日(水)晴れ
埼玉を代表するひびきさんの駅弁を、朝の会にて試食する。
さすがひびきさん。
素材から埼玉産にこだわった逸品である。
それにしても、
プロジェクトを完結させていくひびきさんのパワー。
心から尊敬する。
昭和アロイ久保田さん来社。案件打ち合わせ。
午後、クリエイトの倉井さんの紹介で北野社長を訪問。
電話で紹介いただいてから到着まで数十分だったので、
「電話がいくと思いますよ。」と電話をしてくれた時には、
自分は目の前に座っていたので、倉井さんビックリ。
地域のネットワークがまたひとつ。
9月1日(火)
面接2名。採用。
面接や会社訪問の中で、毎日倒産情報が入ってくる。
中堅の会社がバタバタとの実感あり。