2008年12月の日記
12月26日(金)晴れ
朝礼にて、陰で活躍した人の代表に賞を授与。
この一年、陰で片付けや清掃など、
人の見ていないところで気配りのできた人を、
管理職から2人づつ推薦してもらい票の多い二人に賞を授与。
一人は新倉。
工場周りの清掃を誰から言われるでもなく、もくもくとやってくれていた。
一人は宮崎。
工場内全般の気づきは、ダントツである。
後輩への面倒見もいい。
東海理研桑原さん来社。
新製品開発にともない、売り先アイデアがほしいとのこと。
おもしろそうだ。話がはずむ。
午後、佐々木電材さんへ。数社立ち寄り帰社。
1機種引き上げの話がある。
内製化の話は、来年さらに加速するだろう。
が、一方では社内をリストラして、外注を使う会社もある。
自社では、安くできないからだ。
夕方は全員集合し、お茶で納会とした。
いただいたお歳暮を全員で分けて解散。
大変革の一年だった。お疲れ様でした。
12月25日(木)晴れ
「ご用件のない方は、お取次ぎできません。」
「ご用件と言われても。。」
社長と知り合いなのに、お取次ぎしてもらえなかった。
立派な会社になるといろいろと大変だなあ。
もうちょっと、血の通ったやり方ってないのなかあ。
今日、1社来社された。資本金1億近い大きな会社から、
先日お越しいただいた担当が、部長を連れてきて下さった。
「近くで電話をしたら、川畑課長が外で待っていてくれたんです。」
と、先日初来社の時の感動を語ってくださった。
人の出会いなんてどうなるか分からない。
電話一本で、近くもなれば遠くもなってしまうものだ。
僕は川畑に、
「お客様をお迎えするときは、外で待つように。」
なんて言ったことはない。川畑が勝手にやったことだ。
「お客様に喜んでいただく。」この一点を外さなければ、
いろんな行動になって表れるものだ。
ある人から、相談が入った。
「佐藤さん。シーケンサのプログラム分かる人知らない?
困ってるんだ。今日中に頼む。」「了解!」
すぐに、10社くらい電話した。この時期だからか会議なのか、いない方が多い。
いても「いやあ。オムロンかキーエンスなら分かるけど。」
と、なかなか厳しい。
2社から回答があった。
「いたよ!佐藤さん!知り合いの知り合いなんだけど。」
クイックレスポンスしてくれた方は、
エースキャドの安東社長と、創伸の横井社長。
忙しいのに本当にありがたい。
この志のネットワークを活かしていきたいのだ。
依頼された方は、上場企業の購買担当の方。
そう聞けば、会議を中止してでも対応した人がいたかも知れない。
僕は、「頼まれるということは、試されるということ。」そう思っている。
そして、「人は損得で判断するからすぐに回答が出ない。」ということ。
午後、1Fの現場を佐々木さんが確認。
いやあ、まだまだ指摘事項がたくさんあった。
情けないのは、前に言われてことと同じことを、また言われたことだ。
管理職でメモとってるのは、川畑だけだったので、終わってまた怒られる。
仕事人としての基本からやり直さないと世間で通用しない。
値決めの話、非常に厳しい。今後のものづくりそのものを考えていかないと。
夜、飯島製作所へ。
12月24日(水)晴れ
エンジニアtype様、掲載誌を送ってくださる。
派遣営業さんとの打合せ。
これから派遣は、さらに厳しい戦いになる。
午後、狭山から入間へ抜ける道、
HONDAの工場から、ぞくぞくと人が出てきた。
こんな時間にと思った。
夜、ユニバーサル電気の志村社長のところへ。
12月23日(火)夜
和彦君が1971年式コルベットに乗って現る。
「いいじゃん。乗せてよ!」「いいっすよ。」
ガス欠。
12月22日(月)夜
SUAダニエル・ハブキ学長から、自宅に電話をいただく。
子供たち一人一人からお送りさせていただいた手紙に対して、
約一時間に渡り、丁寧に一人一人を激励してくださった。
「英検の取り組みは?」「スポーツは何してるの?」
激務の中と思われるが、一人の青年を大事にされる姿勢に感激した。
「来春にぜひ来てください。」とのお誘いをいただく。
12月22日(月)晴れ
靴箱、スリッパ、階段、ロッカー移動。今日の清掃。
毎週月曜日の15分大清掃。
ここに全員がまじめに取り組んでいる姿は非常にいい。
月曜日にしたのは、1週間の始まりだからだ。
始まりにやれば、くせになる。雑巾もつのが癖になればいいのだ。
気になって、つい片付けてしまう1週間を続ければ、自然と現場はよくなる。
それから、1週間の始まりは、スピードに乗れずロスが出る。
どうせロスが出るなら価値を残したい。そういう思いからの月曜日だ。
朝礼では、赤ランプの説明をした。
Dを守るのは最低限。それはイーブンだ。
仮にMIYOSHIがQで勝っていても、Cで負けていれば、
他社との戦いはイーブンである。
どんなにひどい品質のところにも、コストで負ければイーブンなのだ。
もしかすると、コストで負けた時点で土俵に上がれない可能性がある。
それでもなければ、
圧倒的なクオリティか、ビックリするくらいの納期をお客様が望んでいらっしゃれば、
コストは二の次ということもあるかも知れない。が、めったにない。
だから、我々は赤ランプをつける訳にいかない。
もしついていれば、管理職に聞いてください。後どれくらいで越えるのか。
午前、葬儀の出席。午後会計士の所へ、銀行へ。
川畑から電話が入り、自販機屋さんの専務が飛んで来てくださったとのこと。
今のサントリーからキリンに替えてほしいと要望した。
キリンだけ扱っていないとの担当者からの回答だった。
お客様に喜んでいただくために、どうしてもやってもらいたいので、
残念だが、自販機屋さんを替えるつもりで、あたっていたところ、
専務が飛んで来て、紹介で今週末に取替えに来ます。とのこと。
さすがだと思った。お客様が望んでいることは何としても実現する。
まして、大事なお客様をお迎えする事情を聞いてとなれば、当然である。
お客様の先のお客様。
そこまで想いを巡らせば、目の前のお客様を喜ばせることにつながる。
新たなつながりだってあるかも知れない。喜ばすことだ。
12月20日(土)晴れ
SUAの羽吹学長とバッタリ会い名刺交換。
子供たちの教育について大事なポイントをいただく。
1、学校の勉強をしっかりやること。
2、本を読むこと。
3、体を鍛えること。
世界中から、1学年100人しか採らない大学の学長からの、
あまりに平凡とも思えるポイントにビックリした。
来年の春にいらっしゃい。と声をかけていただいた。
12月19日(金)晴れ
朝、5時45分電話が鳴る。
「お母さんが・・」近所からだ。
「分かった、すぐに行くから!」
お風呂ですでに意識のないお母さんの前で、
呆然と立ち尽くしている二人に何もすることができなかった。
救急車が到着していたが、警察を待つことになる。
義姉も2年前同じ経験をした。何もできなかった。
7時出社し積み込んで、飯能へ納品。
帰社して、もう一度入間へ納品。
移動の車中で、何度も連絡を取り合った。
昼、もう一度伺い、帰ってきたご遺体に手を合わせた。
二人は、落ち着いてきてひと安心した。
お世話になったお母さんの人生を思う。
どれだけの人が、励まされて、勇気をもらってきたか。
大勝利のお母さんの人生万歳。
午後、銀行へ。篠原さんの紹介で埼玉信金と初取引き。
次長が何度も来社されいて、今回もタッチの差で埼玉信金にした。
タイミングだと思う。これからは尚更だ。
つながっていくという大切さに気がついていかないと。
12月18日(木)晴れ
目頭が熱くなった。
大分から品証をお迎えしての工場監査。
数ヶ月も準備してきたので充分だろうが、
昨日も管理職は、どうしても気になると遅くまで残った。
まずは、会議室で書類の監査。
「あれは?これは?」
「うちの人間にしゃべらせていいですか?」
組織と製造全般を川畑からプレゼン。
資材の流れを定岡からプレゼン。
NGフローを木村からプレゼン。
「そうだよ。それでいいんだよ。」
重い空気が一変した。
うまい下手じゃない。
そういう意味では、うちの人間はプレゼンなんて苦手だ。
妥協を許さず真剣に取り組んだ人間の言葉は伝わるものだ。
うちは僕を含めてバカだから、教わらないとできない。
その代わり、バカみたいに一生懸命やる。それでいいんだ。
1Fの生産現場監査。「できるだけ厳しくお願いします。」と僕。
資材フローを定岡が、NGフローを木村が、
作業の詳細を川畑が説明。僕はやることがない。
工程ごとに作業を確認。緊張して、作業者の手が震える。
男10人に睨みをきかされた中じゃ仕方がない。
「ここのポイントは、○○です。
こういうNGが出る可能性があるので、こういう対策をしてます。」
ペンキ塗って、作業台作って、作標つくって、配線して、教育して。。。
そして、今日を迎えた。一人一人がやるべきことをやって今日を迎えた結果だ。
僕が一言もしゃべらずに、監査を受ける工場になったことに感動して、
目頭が熱くなってトイレに駆け込んだ。
会議室に戻って総評。
「せっかく来たのに、指摘事項がないなあ。」
「ポカよけはできてるし、
指差しやってて、自身の作業チェックもできてるし、
次工程で前工程のチェックもできてるし。」
「管理職の考え方もしっかりしてるし、作業者も理解してる。
何も言うことはないよ。あとは実績だね。頑張って実績つくってよ。」
全部教えていただいたことだ。バカみたいにまじめにやってきたからだ。
うちは、一生これでいく。ちょっとでも、できるとか勘違いをおこさないことだ。
12月17日(水)晴れ
朝、電話をいただき葛飾へ。
昼過ぎまで打合せ。なかなか厳しい。
生産、品証、資材、購買。。それぞれの主張が。。
「お客様に喜んでいただく。」と一言で言っても非常に難しい。
午後帰社、鈴木さん来社。
早く社長になれと激励する。
全部任されていても、それは、
B/SとP/Lの片方の一部を任されているに過ぎない。
縦軸と横軸の縦軸だけか、その一部を任されているに過ぎない。
前任社長に相談できる環境の中で、
代表を任されることの幸せな環境は、
突然バトンタッチされた社長には、痛いほど分かる。
明日の監査に向けて、管理職がもう一重準備をした。が、
管理職の帰宅が遅いことは決していいことじゃない。
その心意気で、次は早く仕事を進める努力が大事。
朝が勝負だ。出社前の作戦をどうしているか。
その仕事は、朝10時までに終わらせる準備をせよ。
残りの時間は、日中起きた問題に対応するためにとっておく。
それくらいの準備をしておけ。攻めだよ。攻め。
サンドバックになったら一日48時間あっても足りないよ。
12月16日(火)晴れ
実働分レート30円以下に赤ランプ。
ホワイトボードの取引先欄につけることにする。
作業日報管理の「視える化」である。
赤ランプを消すためには、つく理由を知る必要がある。
粗利のでない理由は、下の3つに集約される。
●見積もりが安い。
●スピードが遅い。
●間接業務が多い。
→これに対しては、作業日報に赤丸をつけることで、
売上ゼロの人が何をしたか。価値を残したかを確認するようにした。
売上ゼロの人の仕事を、お客様が負担していただけるかどうかが問題だ。
渡部さん来社。
「きれいになったねえ。見違えるようだね。」
渡部さんに褒められると一番嬉しい。
MIYOSHI社内の声。
「○○入ったよ!」「はい!じゃあ始めようか。」
クイックレスポンスって、こういう感じでしょ。
午後一で、篠原工業さまを訪問。
芋をいただいた。近所で採れた川越芋だ。みんなに持って帰ってもらう。
午後4時に会社を出て、東大病院へお見舞い。
会えてよかった。早期回復を祈る。
午後7時には、毎日新聞社にて、
水野先生の出版記念パーティ。
「ものあまり時代で、選ばれる時代になった。」
「普通が駄目になる。供給過多になると普通が埋没する。」
「消費者は、買うことが嫌なんじゃない。売り込まれるが嫌。」
「売り込まないで、友達になれ。喜んでもらうことを3回続けると知人になる。」
「自販機に徹するか、コミュニケーションに徹するか。中途半端が一番いけない。」
工業に必要なのだ。この感覚が。。
12月15日(月)晴れ
リードタイム18時間を達成せよ。
と言われなくても、
「すみません。急ぎなんで明日の朝もらえますか?」
というのはそういうことである。
それを、「はい!」と言って、
くそまじめにやっているのが、MIYOSHIの現場である。
夕方、外注に相談した。
「朝渡して、夜もらえますか?」
「そりゃあ無理ですよお。ところで、仕事ありませんか?
いやあ不景気でねえ。仕事がないんですよ。」
5年くらいまてば、景気が良くなった時にくるかも。
かゆいところに手が届くことが大事なのだ。
かゆくなくなった時に、手を差し出したっていらないのである。
そのためには、こちらが苦労するしかない。
それをやらないでおいて、景気のせいにしている会社は先が見えている。
先日、横の席に座った吉田パッケージさんは、
夕方4時半までのオーダーは、その日のうちに出荷をすると言う。
パッケージ屋さんということは、金型を積みなおして成型しての話である。
驚きだ。時代はそこまで来てるんだよ。
組み配は、川合が家で書いた配線表を持ってきた。
どうにか、昨日よりはスピードアップさせたいとの思いだ。
12月13日(土)晴れ
首都大学東京にて、環境シンポジウム。
大学は久々だが、首都大学は非常にいい環境である。羨ましい。
大学で講義を伺うというのも、非常にいいものだ。
朝、10時半から基調講演、
午後分科会、総評、懇親会と夜までの長丁場。
が、非常にいい出会いの場を作ってくださった。
まずは、西澤学長のお話にぶったまげた。
武藤教授はEVの安全対策の最先端の研究をされ、
非常にいい出会いになった。
「EVは10年前に出来ていたはずですが、何が邪魔をしたと思われますか?」
と大変失礼な質問をしてしまったが、許してくれただろうか。
私が聞きたかったのは、技術では世界をリードしている日本が、製品にするのが遅い。
そこには何が障害になっているか、とのつもりだったが。。
綜研化学の中島会長に非常に気を使っていただき、
北島さんとは、米国、韓国のビジネスの先進性の話に花が咲いた。
日経支局長は話が早い。コンバートEVは、その場で取材になってしまった。
いずれにしても、こういう場をつくってくださる経済産業局の方々に感謝。
この経済不況はチャンスだ。どなたかがおっしゃっていた。そのとおりと思う。
12月12日(金)晴れ
朝礼にて、メールを紹介。
先日、飛び込み営業で来社された方からのメール。
「川畑課長様の対応は、ほかではまずあり得ない事と存じます。
それ故に、日々の営業訪問の内で、最も印象深いもので御座いました。」
人間外交だ。どっちが上とか下とかじゃない。
人間として失礼のない対応をしていくこと。
こういうメールをいただくのは光栄である。
みんなも、心してほしい。下請けや内職やドライバーなどなど。
関わる全部の人がお客様だよ。丁寧に失礼のないように。
こういうことの積み重ねで、お仕事をいただいているのだから。
午前デリバリー、昼銀行、午後日本郵便との打合せ、アクロスさん打合せ。
新規の仕事を立ち上げた今週、粗利が出ない。
夜の定岡メールでの報告では、今週最悪の結果となった。
定岡には、「いつごろ回復しますか?」と返信した。
12月11日(金)晴れ
午後、新規の払い出しを受けに入間へ。
管理職と相談、宮崎を担当にした。
チーム仕事の量産では、初めての試み。
本人も緊張しながらの車中だった。
作業指導を受ける。
外観受入、シール貼付、潤滑材塗布、
ハーネスの差込、ビス止め、機能検査、外観検査。
考えてみれば、宮崎は全部経験しているし、
「指示書にないことですよね。メモしますね。」
と鋭い。知らず知らずのうちに成長したもんだ。
車中で話題になったこと。
スキルアップで仕事の幅と奥行きができたときに実現するもの。
頑張ることで、他者からも目に見えた実績を生むことが大事。
宮崎頑張れ。
20時半帰社。
川畑、定岡、木村が出かけていた品質会議も、ちょっと前の帰社。
報告を聞く。川畑、定岡と食事。帰宅は23時過ぎか。いいことじゃない。
12月10日(水)晴れ
忙しいと言いながら粗利がでない。
定岡が作業日報をつける担当になり、
毎晩メールにて報告をもらうようになった。
売上、原価、粗利、分レート、実働。
取引先ごとにも出すようにした。
定岡に指示を出す。
業務時間内にやるように。
コメントを一言つけるように。
なぜ良いのか悪いのか。
一言加えるようにしようとすると、日中にネタを探しておかないといけない。
そういう視点で現場をみるように。
一発目、いい指摘があった。
今日の失敗を明日繰り返さないために、
自ずと次にどういう手を打つかを考えるようになる。
朝8時、管理職に今日のシフトは粗利いくらのシフトか?と確認するが答えがない。
生産計画はあっても、利益計画がないのだから、利益が出るわけがない。
粗利が出ないのには理由がある。僕は3つにまとめた。
管理職には、自分で編み出してほしい。
定岡にもうひとつ指示を出す。これがヒントだ。
「売上ゼロの人に赤丸をつけよ。」
この人が何をしているかが実は非常に重要なのである。
”お客様の負担しないコストが生まれた会社から潰れていく。”
午後、アールキューブ様、日本アンテナ様、中内さんのところへ。
中内さんにEVを見せると、ことの他喜んでいただいた。
12月9日(火)晴れ
みんなの気持ちに感謝。
昨日の救急騒ぎで、本人からお詫び御礼の言葉と、
今後もぜひとも続けたいとの話を朝礼にてした。
昨日の段階では、
経営者として、私が判断するべきことだと思って一晩悩んだが、
みんなに決めてもらうことにした。勇気がいった。
みんなの意見を求めた。
「僕は、決めません。みんなで決めてください。」
本人に対して質問が飛ぶ。
「どう対処したらいいかを、ちゃんと教えておいてください!」
厳しい意見も出た。
が、最終的には、
みんなサポートをするから、本人も自己管理をしっかりするように。となった。
昨晩、会社都合ではない解雇の方法を探ったりしていた自分を反省した。
「前に新秋津駅で倒れた人がいました。
その人の周りの人は、駆け寄るどころか遠ざかったのを見て、
遠くにいた僕は駆け寄り対処をしたときに、この日本は恐ろしいと感じました。
うちは違うんだよ。みんなで助け合うんだ。
知らん振りする人なんかうちの会社にはいない。
昨日は、ありがたかった。皆で対応した。
昨日もそうだったように、人の命を何よりも優先します。
会社のために誰かの命が犠牲になるようなことがあったら、
この会社は、その日のうちに解散します。生命尊厳です。」
誰もが何かしらのハンディを抱えて生きている。
支えあって、その人を光らせてあげることができたらどんなにすばらしいことか。
そういう気持ちで支えられた人は、今度は周囲に応えていこうとするものだ。
それができない人は、残念ながら社会から取り残されていく。仕方がない。
会社員として生きる前に、人間として生きること。
そういう気持ちのあるスタッフに支えられて、私は幸せだと思った。
夜、狭山にて会合。僭越ながら、つくばのDVDを20枚配らせていただく。
川畑から、工場監査の報告が入る。朝から、夜の7時半までびっちり。
「世界一を目指すんだから、できるだけ厳しくお願いします!」
と監査の方にお願いをして、管理職に任せた。ひどい社長だ。
164項目のチェックが入り30項目の指摘とのこと。そこそこだと思う。
12月8日(月)晴れ
テーマは、「指示書管理」。
オリジナルとコピーとの識別をどのようにするのか。
「原本」とか「COPY」とかいうゴム版を押すのが一般的だろうが、
カラーコピーで見分けがつかなくなる。
変更指示が出た際に記載した場合、
当然原本もコピーも変更をかける必要がある。
と言って、大企業のような出図管理をすることは難しい。
一発で見分けがついて、シンプルな管理方法。
川畑が考えたのは、コピーの原紙自体に透かしを入れること。
これはいい。
朝、別役さん来社で打ち合わせ。
午後、昭島スタック電子様へ。
貴重なお時間を頂戴する。感謝。
夕方、武蔵村山へ。仕事量はゼロが一つ足りないほどだ。とのこと。
「苦難は宝だ。
苦難のなかった偉人は
世界に一人もいない。
今、労苦を惜しまぬ人が
未来に必ず勝利するのだ。
時が来たならば
一気に天空を突いて
たくましく伸びゆくのだ!」
ありがたき師匠。
12月6日(土)晴れ
蛍光灯を交換。
昼光色・3波長に。
これも世界一への一歩か。
12月5日(金)夕方突然雨
写真パトロールは、ついにハンマーの入れ方にメスが入る。
いろいろな視点があって面白い。
午前、
佐々木会長来社。
倉井氏来社。会えず。
午後、
辰正様来社。
ニッシン様来社。
萩原氏来社。
竹内氏来社。
埼玉縣信来社。
清水社長来社。
夕方、新倉の電話に反応する。
完成間近で払い出しの欠品に気がついたようだ。
作業に入る前の受け入れは基本である。
「ビス1本もですか?」
「そう。ビスも一本単位で払い出されていれば数えないといけない。」
理由は二つ。
●作業に入ってないものは、MIYOSHIで無くしたものと考えるべきである。
●たとえビス一本でも、取りに行くことに変わりはない。このロスはお客様は喜ばない。
よって、たとえスポットの仕事であっても、同じルールで取り組むべきである。
todoリストまったく進まないまま、
夜になってしまった。
夜、石川実から嬉しい報告。
来年の目処がついたか。
DVDの印刷を深夜まで。
12月4日(木)晴れ
朝の電話で、すぐに朝霞へ。見積依頼をいただく。どの業界も、業況は相変わらず厳しい。役所へ寄って、帰社。午後、1社来社。製作の依頼を受ける。先月、初めてお会いしたにも関わらず信用していただき感謝。三芳商工会へ行って、戻って、飯能へ。ニッシン様から、初めての払い出し。2007年の3月7日に初めてお会いして、1年半越しで、初めての取り引きということになった。が、ここまで来ると仕事を出したとか、もらったとか、あってもなくてもいいくらいのお付き合いになった気がする。精密板金加工屋さんが、組立の仕事を取ってきて、組立屋が、精密板金の仕事をいただいて、ネットワークで対応して、お客様に喜んでいただく。会社の方針が違うだろうが、基本的に目がお客様に向いているところであれば、行動は一致するはずである。どっちが上とか下とか、いちいち態度を変えないこと。仕事をいただけるとなると、いっぺんに手のひらを返す人間がいるが、どっちも同じだ。人間と人間のつきあいを大事にしたい。
12月3日(水)晴れ
ヨコタ電子さんが、20人で来社。
数日前に、工場見学の話をいただき考えた。
現場のリーダーに案内をしてもらう。
長崎、宮崎、山崎、研一。
食堂に集合していただき、
経営方針、中期目標、年間テーマを発表。
5人の4グループに分かれていただき、
それぞれの担当から案内が始まる。
長崎は、昨日眠れなかったとも話していた。
私は、写真班に徹した。
びっくりである。それなりに堂々たるもんだった。
「社長がこうしろと言ったのでやりました。」でなく、
「うちは○○なんです。私は○○と思います。」
との言葉が、出てきたことがうれしかった。
如何に魂込めて、自分の現場をつくって来たかが、
これでよく分かった。
EVにも乗っていただく。
山崎が、いきいきと一生懸命説明する姿には、心打たれた。
やらされている意識の人間には、ああいう言葉は出てこないと思う。
終了後、もう一度食堂に集まっていただき、感想を全員から伺った。
指摘事項もあった。危険物の表示や、共晶半田の温度管理など。
が、圧倒的に褒めていただく言葉が多かった。
「きれい。分かりやすい。工具管理。写真管理。作業台の配列。
ネームプレート。建物。台車清掃。などなど。」
これは、その場で聞いた4人も嬉しかったと思うし、明日報告を受ける皆も喜ぶに違いない。
が、私が一番嬉しかったのは、
「従業員一人一人の意識レベルが高い。」と褒めていただいたことである。
環境をほめていただくよりも、従業員のモラルを褒めていただくのが、100倍嬉しい。
人材が宝だからだ。
夜、立川へ。阿部塾。
服装とオーダーのこと。
「心配りだよ。」と、阿部先生に教わった。
「別に怒りはしないよ。でも、心配りの出来具合でそこの会社のレベルは分かるもんだよ。
人に会うということは、そこまで心を尽くすもんだよ。ただ会えばいいというもんじゃないよ。」
と笑っていらっしゃった。恥ずかしい思いをした。
こういうことも一つ一つも教えていただいているんだ。感謝。感謝である。
12月2日(火)寒い
基本的には、遠くてもいいから、
”あるべきところにある”ということが大事。
あちこちに置かない。
ヨコタ電子さん、富田さんと、EVの充電器の件で蕨へ。
非常に丁寧にに対応をしていただき、恐縮する。
12月1日(月)晴れ
PCの乗り換えに、ほぼ一日かかる。
パソコンは、どうにも好きになれない。
もっと扱いやすくならないものか。
なるほど、5万円パソコンのの中身が分かった。
CPUがAtomという特殊なものを使っているということ。
これは、オフィス2003以降は重くて動かず、
互換性のある別のアプリを使用するということ。
が、そのアプリを削除して2000にすればいけるということ。
メールのデータ移行の仕方を忘れているということ。
思い出したということ。
その置き場所を、パーテーションの反対側にあえて置くということ。
ああ、疲れた。
先日の雑誌の取材の原稿チェックの依頼がメールにて入った。
20分で返信。