MIYOSHI

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HIDEYOSHI DIARY

埼玉の電子機器組立及び製造工場、オリジナル防犯監視カメラや電気自動車製作のMIYOSHI社長、佐藤英吉の日記を掲載させて頂きます!

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2008年8月の日記

8月29日(金)

(731KB)

仮ナンバーを町役場に申請。

加速はエンジンを超えた。
70キロまではすぐに加速。
3速でAT扱いでOK。

むしろ、40年以上昔の足回りの方が心配になる。

データを取りながら、走ってみる。

結構いけるじゃない。とついついいい気になる。

帰りの航空公園に向かったら、途中でパワー切れ。
気がつくと電圧が急激にダウン。

松本からハンドルを替わり自分が引き返す。

何度か止まりそうになりながら、ぎりぎり会社に滑り込んだ。

8月28日(木)帰り豪雨

(716KB)

できたー!!!! できたぞー!!!!
「エレクトリック・バス」がついに完成。

最初の電源を入れるとき、それはデンジェラス。

松本さんはきっと、66年の人生を思い返しながら、
我が人生に悔いなしと、消火器片手にブレーカーを上げた。

その瞬間に立ち会えなかったのが、幸い・・いや残念。

なんと音もなく、半年間閉じ込められたガレージから外へ。

感動の瞬間でした。 えっ?誰かが山田うどんに乗っていった?

夜、狭山にて若手経営者の会。

産学官連携の面白い事例をいくつもうかがう。
収納家具オンデマンド。崎陽軒のシュウマイ。
リターナルパッケージ。

西武文理大学の柏木教授から、EVの資料をほしいとのこと。

新型バッテリーの量産に入るタイミングの工場に紹介したいとのこと。

走り出すことで走り出すことがある。

8月27日(水)晴れ

(794KB)

午前、フラッと篠原工業さんへ寄る。

思いがけず、社長室に呼ばれた。
今後の連携のことで話あり。

数社は、電話にて情報交換。
各社から、厳しい景況感が伝わる。

EV完成の連絡あり!

うー!悔しいが仕方ない。
その場にいたかった。

夜、河村社長と新宿で会う。

8月26日(火)

午前、国金へ。。

パーテーションの向こうから聞いちゃいけないが聞こえてくる。
建設関係の一人親方か。

「いやー。仕事もとぎれとぎれになってまして。
妻も働いております。軽トラの資金です。」

それくらいさっさと貸してやれ!と大声でいいたくなる。

こっちはこっちで、「個人の通帳出せ」と言われて最初に来たときを思い出した。

あとで分かったことだが、国金が個人の通帳と言い出すのは、
昔の国の指導が悪さしているという。

中小企業の減価償却と役員報酬は、ひっくるめて会社の財産と見なしなさい。
との指導を逆手にとった結果のようだ。

この国には、労働者を守る法律はあっても、経営者を守る法律はないのかと思う。

8月25日(月)

「世界一のEMSを目指す。」

E エレクトロニクス
M マニュファクチャリング
S サービス

16日の日経に液晶TVの生産委託が、
成長している。とあった。

委託するメーカーは、研究開発に専念。
需要変動にともなう設備過剰のリスクを減らす。

世界一のメーカーが乱立する日本が海外に生産を委託していたのでは寂しい。

さあ、国内でと探したときにMIYOSHIにと言われる会社を目指したい。

坂田さん来社。徳田さん来社。

8月22日(金)曇り

国分寺のラテックスインターナショナル様へ、
見積りとサンプルの返却。

足立区の飯島製作所へ試作品を頂きに伺い、
文京区のオーツーサプライズ様へ納品して、
足立へ戻った。

都内の車は多かった。
原油価格の高騰で自動車が減っているなんてのはウソだ。
首都高混み混みだった。

利益構造、人材育成、社内体制、加工技術等々。
車中で、篠塚さんと語り合った。

野球が韓国に負ける。
先日は、替えずに打たれて、今日は変えて打たれた。
何が違うのか。勝つという執念の微妙な差なのか。

8月20日(水)

OR社様来社。工場監査。

品証との名刺交換。
日記の話題が出る。
すでに読んで来られたとのこと。

「感想は?」
「不安になりました。」との回答。

監査に影響するようだと、日記も考えものかも。

お帰りの際にもう一言。「楽しみにしてます!日記。」と。

ターゲットを頂いて目が覚める。
自分の考えと数倍の乖離があった。

どうしたものか。

多品種少量と、量産ものと。

生き残っていくにはどちらもやる必要がある。
が、明らかに管理の仕方も、現場のスピードも違う。

厳しいご指摘を受けた。

S社じゃビスは2秒でとめろって言うんだぞ。
段取りは大変か?別にこんな段取り大変じゃないだろ!
短期だからって管理費が高くなのか?

短期の仕事を初日からトップスピードでできるというのが、
工場の能力と言うなら、やってやろうじゃないの。

できるところが生き残って、できないところが死んで行くんだから。。

8月19日(火)

昨日いただいた見積り案件で佐々木電材様へ。

創伸様に寄って、社長とヤクモ様へ。

川畑と定岡の二人で新規のラインを立上げる。

川畑のフットワークが光る。
見事にやり遂げたと思う。頼れる管理職になったものだ。

8月18日(月)

管理職で定岡を採用。

まずは、休み前に決まった短期の案件で、
川畑について、入庫から出荷までの流れを知ってもらうことにする。

短期とは言え、新規。始まれば日産500以上を確保しないといけない。
段取りが大事だ。

1Fは、看板組立で足の踏み場がない中に、
この新規を入れていかないといけないことになった。

初日の定岡は、言われるままに動くので精一杯。

知らぬうちに、川畑が、扇野が成長していたことを、
今日ほど感じたことはない。

休み明け初日から、手際のよさが際立った。

夜にラテックスさん来社。見積りの依頼を受ける。

8月8日(金)晴れ

3日間。非常にいい数字。

自分がいない3日間の粗利グラフが急上昇している。
これは、何を意味するのか。

サイバーステップ様来社。
次のプロジェクトで打合せ。

31歳社長。

良くぞここまで。

8月7日(木)晴れ

(637KB)

帰りの空港。
中国レートは上がっている。
ベトナム、タイには資源がない。
運べば高くつく。

新興国で生産するメリットは、新興国で売ることで生まれる。

安い賃金を求めて世界を行脚する時代は、
いずれ落ち着いてくるのではないか。

毎日、川畑から粗利と詳細の報告がメールで入った。
頑張っている様子が伺える。本当に頼もしい。

ホテルのLANケーブルを差し込み違和感なくメールチェック。
携帯もフォーマカードを差し替えることでそのまま使用。

中国に居ることを告げるチャンスを逸してしまうこともあった。
中国に居ながら、新規の案件もいただいた。

世界どこに行っても、こういう感じなのだろう。
この十数年の環境の変化。あまり手放しでは喜べない。

無事帰国。充実の3日間。

8月6日(水)晴れ

(1039KB)

午後時間をいただき、市内へ。

開発区と随分離れた市内はまったく違う華やかな雰囲気。

百貨店のくせで、市場価格調査(シカチョウ)をしてしまう。

薄型TVは日本並み。
デジカメは日本より高い。
マックや吉野家の牛丼はちょい安。

これでは、月給1.2万の人は来れない。

北京五輪のお土産をと捜したが、本当に少ない。
百貨店や街にフラッグは下がっているが、
あまり盛り上がっているようには見えない。

8月5日(火)晴れ

(890KB)

大連へ飛ぶ。

2000年以来の国際線。

全座席にテレビがあるのは聞いていたが、
全座席から電話できるようになっているとは知らなかった。
食事もおいしい。

大手のビジネスマンらしき人が多い。
半そでワイシャツでノーネクタイという暗黙のスタイルがある。

におい、車の多さ、クラクション、人の声の大きさ。
昔、北京に来たときは自転車の多さにビックリしたが、
自転車はほとんど見かけない。

工場では、寮生活をするワーカーと管理職。
400人の工場で、日本人管理職4,5人か。

すごい。
「百聞は一見に如かず。」

8月2日(土)晴れ

朝、川越へ行こうと三芳パーキングへ入るが、
ものすごい渋滞。本線へ入れる状況じゃない。

車をパーキングエリアに乗り捨てて、
会社に戻る。

日中、定岡さん来社。
いろいろと語り合う。

午後、川越へ。タイムカプセルを納品。

夜は、阿部さんを誘った。
「皆、何を目指しているのか。分からない。」
と、言われた。

「世界の平和です。」と答えた。
それは、「NGOなんかがやることじゃないの?」
「そういう人も必要です。でも、世界平和を指向して、
地域を守るおばちゃんも大事なんです。
目の前の一人を励ます青年が必要です。」
見てください。この健気な青年たちを。

「そして、そういう青年を育てることが何よりも大事なんです。」と。

思いがけず、阿部さんといい時間が過ごせた。

8月1日(金)

(179KB)

朝は、工事の詳細打合せ。

松本が、タイムカプセルの製作中。
最後の蓋以外には釘を使わないとのこと。

夜は、久米川駅前にて先輩社長と食事。

おいしい料理をご馳走になる。恐縮。感謝。