2005年6月の日記
6月29日(水)雨のち曇り
福生へ直行。どしゃ降りになった。
今日もらって夕方までの仕事。
10時過ぎに会社に持ちこむ。
ん?3人の急休み。
手があまる予定が、ラインで一杯だった。
とにかく、まず一人作業を始める。
一箱70分。これでは無理だ。
足立へ向かいながら、
外注に相談。前向きな回答。
午後一で持ち込んだ。
連絡取るごとに納期が縮む。
最後は3時に出なきゃ間に合わないという。
1Fの10人ラインを5人に変更。
2F上がって応援。あっという間に終わらせた。
外注は、もっとすごいスピードで作業を進めて、
午後3時10分に出発。なんとか福生へ納品を完了。
この間、自分は足立へ訪問。
急遽の外注のお願い以外は全て現場の知恵で対応した。
頼もしくなった。
6月28日(火)曇り時々雨
夕方、足立の先輩社長から電話。
「部材入ったぞ!」
「はい!明日行きます!」
よりによって足立から、
微妙な時に電話が入るもんだ。
初めてお会いしてから4年だろうか。
大苦境を乗り越えてこられた先輩の門を叩いて、
「話を聞かせてください。」を行ったことを今でも思い出す。
大変お忙しい中だったが、
誰がかも分からない自分に全部さらけ出して、
話してくださった。
それから、何度となく近況報告に出掛けた。
この24日にはその体験が綴られていたのに、
読んでませんでした。すみません。
夜には、別の電話あり。
明日、一日で5人ほどの仕事をやってもらえないかと。
驚いた。明日5人くらいの手が空きそうだと話してたところだった。
即決!やります!明日直行することにした。
6月27日(月)晴れ暑い
使ったものを、元の場所に戻す。
松本氏が戻って、まずは残す道具と捨てる道具を分けた。
残した道具を整理して、取り出しやすいようにしてもらった。
次にやることは、使ったら戻すこと。
整理、整頓、清掃、清潔、躾。
分かってます。
これを現場に落とし込むときに、
スローガンを壁に貼っただけの工場が多い中、
うちがどれだけできるか?
今日は、1Fの事務所に扇風機も冷房もない中やってきたが、
そこを涼しくするために種々意見が出た。
皆、「もったいない。」の観点からか、
単に冷房を入れるという発想にならない。
さすがだと思った。
結局、費用5000円くらいで、
ライン現場の涼しい空気を事務所に持ち込むために、
ダクトを引くことになった。
リーダーには可愛そうな気もするが、
「うちは事務員のいない会社」で通してきた。
全員現場に入る工場だから反応が早い。
コスト競争に強い。
リーダーが現場に張り付いている工場。
こうでないと、情報が入ってこない。
作業者への配慮もある。
うちは現場第一です。
作業者のための工場です。
暑い時に、一番冷やすべきはライン現場。
管理者のもとに作業者がいるような世の中の組織図と違って、
作業者の応援部隊、小間使いが管理者という、
逆ピラミッドの組織図で行きたいが、
自分の自覚が一番足りないと反省の日々でもある。
6月23日(木)晴れ
クレームを入れようと思って電話する。
女性の声 「○○でございます。」
私 「MIYOSHIの佐藤と申します。
お世話になっております。」
女性 さっきより3音くらい高い声で、
「ああお世話になっております!」
私 「○○さんいらっしゃいますか?」
男性営業担当 最初から高い声
「どうもいつもお世話になっております!
いろいろご迷惑かけてすみません!」
私 「いろいろありますけど、
うちにもなんかできることあったら言ってください!」
あれ?やられた。
普通に電話に出て、相手の正体が分かると声が高くなる。
女性は会ったこともないのに、
懐かしい親戚にでも出会ったような声で挨拶をされる。
変わった営業の男性も、一回しか会ってないのに、
同じように挨拶して、先に謝られちゃう。
なんか言おうと思ってたこと忘れて、
さっきみたいなことになっちゃう。
その手、使わしてもらいます。メモメモ。
6月22日(水)晴れ
お世話になった方を訪問。
68歳で新たな一歩を踏み出し、
「まだまだ勉強したいことがある。」と。
仕事について、種々アドバイスをいただく。
自分のことをよく分かって下さっている。
「社内では、この人には何を言っても無駄だ。」
という部分を持っていなきゃ駄目だと言う。
「この人に言えば何でも、聞いてくれる。」
を目指しているのにびっくりした。
軸までぶらしちゃいかんということかな。。
人間として尊敬する先輩に、
いつまでもご健にと祈る。
6月21日(火)晴れ暑い!
一日中パソコンに向かった。
やれるうちにやっておかないと。。
人に仕事を任せること。
一方では、任せすぎるくらい任せているのに、
一方はそれができない。
手順、ポイント、時間など、
仕事の1〜10までを分かっていて、
初めてそれができるんだと思う。
或いは、責任感か。やる気か。
「ここまでやってくれれば、
あとは何があってもけつを拭く。」
そういう風に仕事がイメージできないと、
具体的に仕事のお願いのしようがない。
お願いできないうちに、一杯一杯になる。
そう言えば、そういう上司がいたなあ。
自分で抱えていて、前日の夜あたりに、
「悪いけど、明日までにこれやってくれる?」
仕事のイメージができていないんだろうか。
それとも、気が弱いからかなあ。
自分もこういうパターンだなあ。
勝利からの逆算。
真剣の2字のなせる業だ。
6月20日(月)晴れ
1時間以上かけての懇談。
しゃべりながらも、結局自分かなと思う。
5人10人の時にできて、25人になったらできてないことがある。
もっともっとやらなきゃ。
「そのうち」という時間の先送り。
プライオリティ。処理能力のなさ。
力つけにゃ。。
6月18日(土)晴れ
都内で、高校OB経営者の打ち合わせ。
先輩が出版した書籍を頂戴する。
「仕事のルール」
テキサス大学経営大学院MBA取得して、
経営コンサルタントを経営。
もともとルールに縛られんのが嫌いなのだが、
共感しながら、一気に読んでしまった。
大変なご苦労をされて、乗り越えてこられた先輩。
誇りである。
6月17日(金)曇り
mottainai....
マータイ博士の仰せの通り、やってみる。
まずは、治工具の整理整頓を松本が担当する。
捨てるものは捨てた上で、使えるものは徹底的に手入れする。
電動ドライバーは、ブラシを手配して再生する。
現場から買いたいものが上がれば、
本当に社内になかったか、まず探してみる。
損得で言えば、買ったほうが探す人件費よりも安いに決まってる。
本当は、整理整頓ができたところで探す手間も省けるが。
今日は、たかがマジック一本、マグネットシート1枚を探した。
マータイ博士の言うmottainaiは、お金のことじゃない。
経済のためには、お金は使って貰ったほうがいいに決まってる。
資源のことだ。
ボールペンだって、インクが無くなるまで使い切った経験は、
38年生きてきて、1,2回しかない。
やってやろうじゃないの。
5月の電気代は、15万から10万になった。
たまたまかなあ。。
6月16日(木)雨
広島からのお客様。
午前中から納品で出掛けていた自分に、
昼に到着との連絡が入り、急いで戻った。
せっかく遠くからお越しいただくので、
お昼でもともにしながら、お話を聞きたい。
間に合った。
まだ2回しかお会いしていないが、
思いもよらず深い話ができて良かった。
午後入間にて打ち合わせの後、税理士来社。
この6月から9月が勝負。
売上げを上げるべし。という結論。
そうなんだけど。今大事なことは、ちょっと違うかな。
歯車のずれ感じる。
手空き状態の外注対策として、
社内外注を始める。
6月15日(水)雨
「そのうち無くなる会社です。」
30年続いた会社は1%に満たない。
うちも、たかが下請けの組立て屋です。
20年も30年も続くとは思ってません。
じゃあ何が大事か。
長く言えば、3ヶ月、半年。
お客様のお役にたとうと言う目的を達成できたかどうか。
目的に向かって一緒に前進したことを仲間と実感できたかどうか。
2ヶ月、3ヶ月しか一緒に仕事できなかった人が、
ああ、ここで仕事できて本当によかった。
10年20年経って、あの時があったから今がある。
地元に帰って、埼玉のいい工場で仕事したなあ。
なんて言ってもらえるかどうか。
短く言えば、今日です。
今日一日お客様のお役に立てたかどうか。
皆で楽しく仕事できたかどうか。〜ここまで朝礼〜
楽しくとは、目標に向かって心ひとつに、
頑張ること。これ以上に楽しいことはない。
それができなきゃ会社なんてない方がいい。
ちょっと仕事量が安定したくらいで、
いっちょ前の欲が出てくる。私も皆も。
明日つぶれるかも知れない。
そう思えば、今日を悔いなくやるしかないじゃないか。
つまらんことで、人と比較して愚痴文句にまみれて。
そんなことなら、会社つぶしてしまえ。
また、本気の人間でやり直せばいい。
6月14日(火)晴れ
部材の引き取りに足立に行っているところに電話入る。
昨日の不良が再出!
ラインに影響するので短時間で対応してほしい。と。
自分が一番近い。すぐに飛んだ。
会社からは、4人が向かう。
得意先の昼休みのうちに終わらせた。
ついでに、はじめてきたスタッフに、
ラインを見せてもらう。
午後部材の引き取りに再度行って帰社。
面接1名。2社来社。
6月13日(月)晴れ
午後から、2Fの7人で顕微鏡仕事の研修に行く。
誰が担当になるかなんて分からないが、
ただで教えてくれるというのだから皆で行った。
この週末考えた。
「仕事を選んでる場合じゃない。
声をかけてもらったら、なんでもやってみよう。」
ちょっと取引先が増えて、
そこそこ仕事を頼まれるようになって、
なんか勘違いしてた。
うちなんか、何の技術もありません。
教えていただけるなら何でもやります。
それのどこが悪いんだ。
知ったかぶりして、不良出したり、
不良出してもちゃんと対応しないところよりも、
よっぽどいいんじゃないの?
なんて思ってみたりした。
電話が鳴る。不良が出た。
研修に皆出てしまってるのに。。
「取引先に行ってもいいでしょうか?」現場リーダー。
「取引先に迷惑は掛けれない。とにかく行ってくれ。」
研修組みはまだ帰れないが、3人出た。
電話に出る人もいない状況。
行った先での全品検査。社内での全品検査。
今日生産分の検査。21時終了。
検査チームの責任感に敬服する。
人のせいにする人が一人もいない。
焼肉少々で労をねぎらった、つもりだった。
「いいから先に帰れ!」
とかカッコいいところ見せたが、
店:「カードはご使用できません。」
私:「なにー!」すみません!
明日持ってきます!信用してください!
業務連絡:
私、明日欠勤してたら焼肉屋で皿洗いしてますので、
取引先に行ってることにしておいてください。
6月11日(土)朝礼
「いろいろと予定があっただろうに、
このように出勤いただいて、本当にありがとうございます。」
「『今週200台の増産をしてほしい。』との得意先の要請に、
30分で快諾をしたが、それができるのは、
皆が無理を聞いてくれるという信頼があるからです。
20人のラインを休みの日に動かすかどうかなんて、
普通の会社は、一日かかっても結論が出ません。
これが、うちの強みなんだなあって思いました。
この返事を15分に、或いは間髪入れずにできるようになったら、
もっとすごいことだとも思いました。
今、2Fは全部即答です。
『ハイ!分かりました!』と言ってから考えてます。
また、こういうことがあったときにはぜひとも協力お願いします。
でも、あまり無理はしないでください。」
6月10日(金)雨
生まれて初めての給料を貰った人も。。
そんなことうちではめったにないので、嬉しかった。
「後に入った人が昇給したのになぜ私は?」
なんて声が聞こえてきそうなので、
もう一度、確認の記載を。
入社して研修期間は、時給750円。
研修期間の卒業は、「ラインのマスターした翌月」。
それ以降の昇給は、2004年7月31日の日記の通り。
もちろん、早く入社した人が先に昇給するなんて決まりはない。
その後、自分の中で決めていたことは、
急休みをした月には昇給をしないということ。
普段から、
「予定の休みや遅刻はいくらあってもいい。
しかし、朝連絡あっての休みはライン組みの上で非常に困る。
連絡なしの休みは論外。」
と、当たり前のことだが言い続けている。
先日は、あまりに急休みの多い人に辞めて頂いた。
今回は、研修卒業予定だった2人を急休みを理由に据え置いた。
本人にも説明しているが、しっかり伝わっているだろうか?
それくらい現場では人の配置に神経すり減らしているっちゅう事なんだけど。
6月9日(木)晴れ
1Fの前加工を急遽内職展開。
人員と先々のスポット仕事とのバランスで、
2Fの手を空けておく必要が出てきた。
休みが少ないときに作りだめする場所が、
ほしいために前加工をあえて社内に残しておいたが、
いつまでたっても、追われることになうためだ。
人数に余裕ができた時なんて結局ないもんだ。
朝礼では、昨日部品の供給会社からほめられたことを、
報告した。「MIYOSHIさん、対応いいですよね。」
得意先も協力会社も佐川のにいちゃんも、
みんな笑顔で帰ってくれることを目指そう!
なんて言ってたことを、皆実践してきてくれた結果だ。
いいぞ。いいぞ。
5月8日(水)晴れ
担当者が休みの日に限ってクレーム。
得意先が飛んできた。
確認してみれば、サンプルそのものが違っていた。
「すみません。直してもらえますか?」と。快諾。
昨日の夜は1F得意先から、
「今週200台足りなくなってしまいました。
増産願えませんか?」と。快諾。
そして今日。
一度終わったはずの機種が、
「7月8月とできますか?」快諾。
午後には、
基板製作の見積もり依頼。対応。
夜には、
「検品ってできますか?」と。
「やってみます。」
仕事の話があったときに、
MIYOSHIを思い出してくれる。
それがありがたい。期待に応えたい。
6月7日(水)晴れ
グロメット探しに秋葉へ行く。
目移りして、何を探しに行ったか分からなくなった。
いつものこと。
目当てのグロメットは、防水タイプのL字。
何軒もまわってるうちに、
同じものばかり置いてあることが分かってくる。
店員に声をかける。
「L字はあっても、防水はない。」という。
何軒まわっても同じような回答だが、
言い方がさまざまで面白い。
だいたい無愛想なのに、
なじみ客が来るとえらいこと盛り上がってる。
少年がお土産をお店の人に渡している。
「いいよ、いいよこんな気を使わないで!」店の人。
「いいの、いいの。」少年。
「もう持って来ないでよ。」
「・・・」
そのあと話してる内容は、チンプンカンプン。
きっと、一生懸命の少年に店員さんが、
手か知恵か貸してあげたんだろう。
家賃がいくらなのか分からないが、
これだけのもの揃えて、買いに来る人の単価は数百円。
絶対儲からないだろうになあ。
売る人も買う人も、職人だなあ。
6月6日(月)晴れ
「パパ、うち貧乏になりたい。」と娘。
「おいおい。いやみかそれは。
家族5人アパート暮らし。
今でも充分貧乏だろ。」私。
「先生がね。貧乏は誇りだって。」娘。
「ありがたい先生だ。」私。
「埃じゃ困るよね。」息子。
「バカな息子だ。」私。
6月3日(金)曇り時々雨
志願してラインに入る。
ライン仕事は原点に返るきっかけになる。
一人、突然泣き出した。
先週からタイムを絞っているが、
部品出しが間に合わずパニックになったようだ。
工程配分は、ラインセッティングで一番難しい。
聞いてみれば、前日の用意が充分でないのと、
時間の絞りが原因のようだ。
リーダーは、計画通りにコンベアのタイムを絞ってきた。
ダイアルを右にまわすことは無条件で許されるが、
左に回すことは許されない暗黙の掟がある。
確かに限界ぎりぎりの時間設定の中、
皆黙って頑張ってついてきたようだ。
聞いてみれば、いろいろと意見が出る。
結果4秒プラスして終了時間をずらすことにした。
一日やってみてわかることは、
皆非常に良くやっていること。
どこのセクションも楽じゃない。
ここだけの話、クタクタだ。
6月2日(木)
自分あてのクレームの電話を夜受ける。
厳しいご指摘に「その通りです」と思いつつも、
何とも言えない脱力感に陥る。
仕事のことではないが。。
自分は、そんなに変わってしまったか。
妻曰く、変わってしまった鈴木島男のようだと。。
6月1日(水)晴れ
朝6時の会では、経営方針が話題に。
発表者は、4年間で倍の年商になっている。
うちみたいな行き当たりばったりじゃないんだなあ。
一旦帰社して得意先との打ち合わせを終わらして、
岩槻の会社へ初訪問。
その足で、坂戸へ飛んだ。
何をやってるんだろう。。。
会社にいれば動かねばと思うし、
動いていれば会社が気になる。
もっと、ドンと構えてやらにゃ。。