2005年1月の日記
1月31日(月)晴れ
朝礼のテーマ「異体同心」。
先週は、1Fラインの立上げ以外にも、
多数のスポットをこなすことが出来た。
皆のおかげだと思う。
その意識の根本は、「異体同心」。
仏法用語だが、
海外のスタッフに英訳してもらったりして話を進めた。
管理、品質とうたって組織や役割が複雑になりつつある今、
どの役割を担っても、違う場所で違う仕事をしていても、
「同心」であれば、大きなことを乗り越えることが出来る。
反対に、かっこよくユニフォームを揃えて、
行動をともにしていても、気持ちが離れれば何もなすことができない。
こんなことを強く感じたのだ。
分かってくれただろうか。。
昼から、外に挨拶に出かける。
帰りに、未だ未回収の会社に立ち寄る。
誰もいない。
こんなとき、自分だったらどうするだろうか。
逃げてしまうか、きちっと対応できるか。
父の会社だから気持ちに余裕もあったのかも知れない。
自分の会社で同じことが起きていたら。。
価値観。人間性。振る舞い。哲学。
今日で、独立満3年。
明日から4年目。
1月30日(日)晴れ
20日に依頼のあった5台の試作品。
「なんとか今月中に!」
との依頼にあちこち動いたが、
最終的に外注田中氏に無理を押し付けた。
その後のやり取りは、小林が担当。
完成度と納期との狭間で、
何度も打ち合わせを行う。
秋葉原にも行った。
そして、本日完成。
依頼元と製作者に社内にてドッキングして、
説明をして、本日11時に手渡した。
今日は、自分が予定が入っており、
どうしても同席できなかったが、
この日曜日のやりとりまで、
自分でない小林と田中氏が対応できたことに、
頼もしく感じた。
そして、依頼主の社長が、
できばえ、納期ともに喜んでくれたことが、
何よりも嬉しかった。
1月29日(金)晴れ
距離感が難しい。
現場に任せたのに、気になるので顔を出す、口をだす。
口を出せば、結局社長が中心かと思わせてしまう。
現場のリーダーは、何をやっても覆されると感じて、
思い切ったことが、出来なくなる。
現場で指揮をとっていたときは、
何も考えずにされたが、
現場をリーダーに任せた今は、
この距離感が難しい。
自分もサラリーマン時代と親父の会社時代に感じたことだ。
「だったら、社長がやればいいじゃないか。。」
「任せる。
責任は俺がとるから、好きにやっていいよ。」
言った気もするが、全然実践できていない。
社内で決着のつく問題ならまだしも、
お客さんに迷惑のかかる問題は、
絶対に起こすわけにいかない。
と思うと、ついつい口を出してしまうし、
結局余計なことまで言っている。
任せようと思う。
それができるスタッフに恵まれたのだから。。
夕方、UF○銀行から電話が入る。
1年以上も前に100円で普通預金口座をつくっただけで、
そのままになっていたが、
ぜひとも会いたいと言う。
「都市銀とは、付き合う気はありません。」
「前にも散々待たされた。」
なんて苦情まで言ってしまった。
別に「付き合ってください。」と言われたわけでもないのに。。
1月27日(木)晴れ
めちゃくちゃだ。
昨日夜に依頼のあった仕事。
今日の夕方が納期とのことで、
夜のうちに内職3人、朝一でさらに一人内職にお願いした。
社内でもよかったが、休みが多いために現場が難色を示したこともあった。
この仕事は、立ち上がったばかりの新体制の現場に迷惑をかけないよう、
全部自分で内職と連絡を取り合って配分した。
その根拠は、「1時間に8本ですよ。」だった。
全部で200本だから25h。ここが間違いの始まりだった。
自分で持ち帰って夜やってみても、
その倍はかかる。
案の上、昼ごろ連絡を取ってみると各所難航している。
内職に引き上げにいっても、その場で待たされるようなことになり、
挙句の果てに、2人ギブアップ。
出来上がり次第ピストンで納品することを約束するが、
得意先は、完納今日中は譲れないという。
夕方、会社に電話を入れて、
残業できるメンバーに待つようにお願いする。
内職から引き上げた材料で作業し始めたのは、すでに6時。
8人がかりで取り組む。
「こんなことなら、無理してでも社内でやっておくべきだった。」
反省する。と同時に気持ちよく残ってくれるスタッフに感謝の思い。
納品は深夜になった。
若手のリーダーが一人作業をしていて、
「本当にすみません。ありがとうございます。」
と喜んでくれた。
「この仕事、ここで頑張らないと引き上げられちゃうかも知れないんです。
この仕事なくなったら、うちも厳しいので。。」
偉いと思った。120名もいる会社に深夜一人残って、
考えていることは上司のことでなく、会社のことだった。
1月26日(水)晴れ
1Fにて朝礼。
ライン再開に際して、心構えを確認する。
●取引先の受け入れが、抜き取りになること。
協力会社を信頼してのことだが、
一たび重欠点が出れば、全品確認に飛ぶ覚悟が必要。
よって、絶対に不良が出せないこと。
管理と品質を強化した体制作りをしたつもりなので、
いよいよその真価が発揮できるかどうかだ。
社労士との打ち合わせ、保険会社との打ち合わせを、
早々に切り上げて、東村山に飛んだ。
「急ぎなんですけど。。」
こういうときに力になりたいのだ。
夕方、払い出しの予定で一旦帰社。
午後、1Fでいよいよ製品が上がってくる。
検査済みのものを再度16台チェックする。
ブランクのあった後の滑り出しは要注意だからだ。
ほぼ思い通りに運んでいる様子を確認して、
昨日から始まった新規の納品に行くと同時に、
無理を言ってお願いしたハーネス加工を引き取りに行く。
と、さらに別の種類の払い出しがある。
会社には、昼打ち合わせの払い出しの準備が出来たと、
電話が入る。
夕方もどって、早々に出かけた。
「無理言ってすみませんが、明日ほしいんですけど。」
4人くらい必要と見て、その場で内職の確認。
夜の内に3人まで払い出した。が、
もう一人当たっているうちに、タイムアップになってしまった。
明日が見えないので、1人分は自分でやるか。。。
こういう動きをするために、自分がフリーになっている必要があると思うが。。
25日の日記
日記サボりました。
1月24日(月)晴れ
気持ち悪い。たいして飲んでないのになあ。。
昨日、
同期臼井を九州から迎えて秋津にて一杯。
日記の愛読者の一人。
微妙な気合の起伏をよく感じている様子。
頑張らねば。
朝、出社するとすでに2台のトラックが待つ。
今週末に向けて、いよいよ部材の入荷だ。
自分の顔も自然とほころぶ。
金曜日に受けた急ぎの試作品。
納期優先とは言え、変なのもを作成するわけにもいかない。
午前中に打ち合わせをする。
さすが田中さん。厚紙で模型を作ってきた。
午後は車で5分の会社に、探して20分かけて到着。
さっそく、仕事を出していただけることになった。
社内もさることながら、内職もこの一ヶ月丸々空いてしまった。
早く手が埋まるようにと思うが、自分が動くしかない。
1月21日(金)晴れ
朝、商工会の紹介で1社来社。
はじめてお会いする30年の会社を経営する社長。
父の世代だ。忙しいので協力会社を探しているという。
商工会がうちを紹介してくれたのは初めて。
ありがたいこと。
小さなロットと短納期、ローコストで苦しんでいるそうだ。
この1年で5社廃業してしまい、
協力会社が足りなくなってしまったという。
あと2年待てば、仕事が帰ってくると。
2年前に別の方から、そう聞いた気もする。
午後は、急ぎの試作の依頼。
うちは、組み配の量産をしてきたので、
切ったり、張ったりする加工は専門でない。
しかし、納期がせまって困ってきた以上、
なんとかしなければとの意識が働く。
その打ち合わせの席上で本当に思った。
この3年は、最後は自分がやればいい。
自分がやれる計算が成り立っている仕事を受けてきた。
しかし、今回は違う。
時間の制約がある上に、未知の世界。
非常に歯切れが悪くなる。
思えば、携帯基地局の滑り出しの時は、
もっとひどかった。
経験も、金も人もない中、勢いで受けて、
寝る間を惜しんで乗り越えた。
社内のフットワーク力を危惧しておきながら、
実は、自分が一番保守的になっているのではと感じる。
受けた。なんとしても形にしなければ。
午後からすぐに動き出す。
その直後、福生の将来の経営者若手2人組み来社。
嬉しい。性格のいい、頑張る二人。
父の経営者のもと、仲のいい二人。
何としても、力になってあげたいが、何もできていない。
もっとダイナミックに。もっと素直に。
1月20日(木)晴れ
リーダーのメールアドレス設定をして、名刺を作成。
それをもって朝から、今回の体制のご挨拶に伺った。
自覚が高まる。緊張感が走る。
その車中に、電話が入る。
計3社からの電話は、全て仕事の依頼だった。
そのうち2社は新規の話だ。
新年明けて、
そろそろ動き出したということか。
1月19日(水)
工場内は、今日から1Fのラインの復元作業。
ライン担当者3名にお願いした。
ドライバーのトルク設定の研修成果もあって、
見事に復元させ、トルクの設定まで終わらせた。
倉庫では、看板の取り付け作業をしていると、
新設の倉庫にありがたい頂き物をした。
●蛍光灯のベースを10本。
隣の鈴木さんよりいただく。
この倉庫には、十分過ぎるくらいだ。
●そして、パレットのラックを10本。
川口の黒田社長よりいただく。
夕方、到着した。高さを有効利用するのに便利。
ありがたい。感謝してます。
写真は、看板のセッティングの状況。
自宅で楽天への書き込みを3ヶ月分終わらせた。
小島氏の忠告を受けて、今日より再開。
そう言えば、小島って楽天家だなあ。。
1月18日(火)晴れ
倉庫完成。照明の取り付けをスタッフで行う。
少しでも、自分たちで手を加えることで愛着がわく。
午前中、一人懇談。
今後とも続けたい意向を聞く。
嬉しいとともに、重大な責任を感じる。
倉庫内の照明設置が終わると、
工場からの荷物を移動。
夕方、明日の予定を打ち合わせ。
いよいよ月末のラインを再生する。
夜、松本氏のロッカーを片付ける。
何とも言えない気持ち。
1月17日(月)晴れ
長文の日記を書き終えようという時に、
どういう訳かファイルが閉じてしまった。
書き直すのは、いやなのでやめる。
今日の帰りの出来事だけ書きとどめる。
車中に入った電話。
松本氏から退社の意向を告げられた。
耳を疑った。MIYOSHIの前身の創業者。
彼ほど、MIYOSHIに思いの深い人はいないと思っていた。
冶具作りの名人だし、経営者出身ということもあって、
コスト意識も、納期管理も、また、知恵袋でもある。
私の経営の相談役だった。
年末から、他社の仕事に行っていたが、
それは、社内の仕事量を見て、
気をきかせて別の現場を探してきたと思っていた。
ショック。
何だったのだろうか。
通勤距離を理由にしていたが、
絶対に違うと思う。
夜の倉庫完成の喜びも、一気に霞んだ。
さあ、いよいよだ。何か意味がある。
絶対にひるんでなるものか。
1月16日(日)雨
壁面完成の倉庫。
雨がふりやまず、水溜りができる日曜日。
1月15日(土)冷たい雨
プレハブ工事開始。2日間の予定。
あいにくの雨。雪にならない幸いの雨か。
中止もありえたが、何とか取り掛かった。
職人さんが気の毒だ。
昨日の真田教授から、スピーチのデータと、
御礼のメッセージが届いた。
こちらから、返事をすると間髪いれずに返事が返ってきた。
大学の教授には、珍しい方だと思った。
「本年の抱負は、やせることです。
人のために骨身を削ってさせることです。」
言うのは容易いこと。
しかし、実行されている方に、
お会いできたことが嬉しかった。
最近の自分の姿勢を猛省した。
プレハブは、昼近くで壁が仕上がった。
1月14日(金)晴れ
夜、久しぶりのミニ多摩西部会。
日中は、数社廻ってそのまま川越へ向かった。
社内は、半田の研修は好評だったようだ。
講師は、愛知淑徳大学の真田教授。(47歳?)
慶応大学野球部出身。
ご本人から、あったとおり、非常に謙虚で、
エネルギッシュな方だった。
「来年の景気は、楽観できない。
中国がアジアのアメリカになろうとしている今、
中国なしでは、語れない経済。」
なんて話の中で気になったことは、
「マスは中国にかなわない。
差別化されたものをどのように大事にできるか。
中部は、具体的に取り組んでいる。」
この数日間、
胃を痛めて(食べすぎ?)仕事を取りにいった中身は、
まさに中国に出したいけど出せないものを拾いに行ったまでだ。
マスがないのだから、次の一手は真剣に考えねばならない。
それよりも、真田さん自身に興味を持った。
1月13日(木)晴れ
出勤すると一枚のFAX。生産計画だ!発注だ!
ついに来た!1月末から3月までの生産計画に、
この予定でいけますか?との問い合わせだった。
いけますとも!すぐに返信。
今日の出勤ほど重い日はなかったが、ふっとんだ。
今日もスーツで出勤し、営業に行く予定だった。
足立方面へすぐに出かける。
おかげで、一社は御礼になった。
午後は、独立前後に相談に伺った先輩のもとへ。
顔をみて思い出して下さったよう。
67億の負債から、立ち直ったその先輩。
当時、自分の3億7千万などでくじけるわけにいかないと、
決意し立ち上がったのを思い出す。
当時、殺気立った雰囲気も感じたが、
弟さんや、いいスタッフに恵まれて、
暖かい雰囲気の会社だった。
堅実に仕事を積み重ねられた結果と思う。
会社に戻って、ミーティング。
1月末からの仕事の予定について。
その後、種々準備をする。
やはり、営業を継続せねば。
この2,3日の思いは繰り返したくない。
1月12日(水)晴れ
朝5時から目が覚めて、眠れない。
今日で切れる仕事のことで、頭が一杯だ。
出勤する従業員に心配をかけたくない。
会社唯一の営業マンの自分。
自分への厳しい視線を感ずる。
俺がやらなきゃ、多くの人に迷惑がかかる。
すでにかかっている。
会社にいる暇があったら、仕事とってこい。
なんて言う人はいないが、もう一人の自分が言い聞かす。
眠れない。
この手があいたときに何をなすべきか。
とにかく起きた。
ベットの上で思いめぐらしたことを、
一気にメモする。
そうだ、スキルアップだ。
●ドライバーのトルクの考え方。
電ドラの種類。トルクの設定方法。
●半田の考え方。
コテ、温度、仕上がりのフィレットについて。。。
●テスターの扱い。etc..
これらを、今いる20人の全員が理解して、
マスターしてしまえば、段取り時間の短縮につながる。
スーツに着替えて出勤。
「俺は、仕事ください、なんて営業したことないんだ。」
「現場第一なんだ、ネクタイなんてしたことない。」
そんな先輩の言葉がひっかかっていて、
「ずっと作業着で、仕事場に出ていた。
「仕事ください」の何が悪いんだ。
今日は、徹底して営業に回ってやる!
そんな思いだった。
写真は、出勤途中の三芳町の朝日。
7時に出勤。寒い。
皆が来るまでに温まるように暖房を入れた。
皆出勤すると、リーダーに集まってもらって、
作業の合間にそれぞれの先生として、
半田やドライバーの研修をするようにお願いをして、
多摩方面への営業に。
昼は、お雑煮パーティ。
「社長がお雑煮食べてる場合じゃないでしょ。」
自分は、皆と一緒に食べる気にはなれなかった。
営業が忙しいふりして、遅く戻った。
でも、大好きなのでやっぱり食べた。お餅6個・・
夕方、花園への納品で高速を飛ばした。
「仕事ください!」頭を下げた。
1月11日(火)晴れ
全員出社。みんな元気でなにより。
この一年、皆と楽しく仕事できることを願う。
明日納期のものなどあるので、
すぐに仕事に取り掛かった。
私は、お世話になっている社長のお母様の葬儀があって、
青梅に出かけた。
決して飾らないが、人望の厚い尊敬する社長。
いつも私のことを気遣ってくれる。
年末も忙しい中、「どう?仕事はあるの?」と、
わざわざ会社にお出でくださった。
年頭のご挨拶に伺った際に、
お母様の体調の悪いことを伺った翌日のことだった。
仕事が忙しい中で、食事を作ってあげたりしていたと聞いていた。
親族代表の挨拶も、決して流暢でないが、
なんと心の暖かく、きれいな人だろうかと思う。
1月8日(土)晴れ
青年よわが道で大指導者と育て!
なんとありがたい師匠か。
要は、自分が強いかどうかだ。
今日から戦い。。
1月7日(金)晴れ
仕事の夢。夢。夢。
6日7日で準備をして、11日の全員出勤を向かえる予定が、
予定どおりにいかない。
これまで運良く切れたことのない仕事だが、
いよいよそういう日がやってくるか。。
新年のご挨拶とか称して、仕事のお願いになる。
各社、やはりご挨拶まわりですれ違い。
攻めていたときは、気が楽だった。
守るものができて、気持ちの持ちようが随分変わったのか。
ついもらす。。
まだまだ守る段階でないと一笑される。
その通りかも、びびってる場合ではない。
1月6日(木)晴れ
仕事始め。
とは言っても今年は、最小人数出勤3名。
昼から、新年のご挨拶に伺う。
夕方までで数社。
思いのほか、1月については落ち着いている話を聞く。
毎年そうだったっけ?
年末のやり残しを、1月の仕事としてスタートさせて、
1月に発生した仕事が、中旬以降スタート。
うちは、年内の仕事を完璧に終わらせてしまった。
さあ、どうしよう。。。
2005年1月2日
あけまして、おめでとうございます。
大晦日に降った雪が残る駐車場から。