MIYOSHI

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HIDEYOSHI DIARY

埼玉の電子機器組立及び製造工場、オリジナル防犯監視カメラや電気自動車製作のMIYOSHI社長、佐藤英吉の日記を掲載させて頂きます!

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2004年8月の日記

8月31日(火)晴れ

会社は、社長の顔色一つ。
天気もいいし、「よし!」9時5分前までよかった。

1Fの検査で急休みあり。
「これから仕事がなくなるかも知れない。」
なんていってる時に人が足りない。
また、曇る顔色。情けない。

検査チームに無理を言って、どうにかしてもらった。

午前、1社訪問。
率直に9月の状況を話す。
2つ返事で、
「お互い様です。何か用意します。」と。
ありがたい。

そして、今日1名退社。
理由は、「社長には、ついて行けません。」だった。
先日、仕事の標準時間を一方的に押し付けたのが、
ことの発端。反省。残念。

訪問2社。
仕事探しの協力会社8社に拡大。

売上の7割の消える日まで、あと15日。

8月30日(月)台風16号

盛り上がらない朝礼。

先週末の一人一人との懇談で、
腹が決まって、その決意を表明して、
「皆に希望と勇気を与えよう。」なんて、
イメージしてた今日の朝礼だった。

自分のテンションが低けりゃ、
そんなこともできるはずもない。

余計な不安をあおる朝礼になってしまった。
先週の取引先の感触は決して悪くなかったし、
むしろいい方向に行きそうな気配だった。

結局、伝わるものは、言葉でなく、
目だったり、表情だったり。。。
やっぱり、自分の腹の決まり方だ。

午前中から出掛ける。

4社訪問。
夕方、9月から最有力の仕事の打ち合わせに行く。
明後日が予定だったが、待ちきれなかった。
暗くなって帰社。

売り上げ7割の消える日まで、あと16日。

8月28日(土)雨

朝待ち合わせに来ない派遣。

数度あったことだったが、
事情あって、もう一度チャンスをつくった。

今まで、無断欠勤や無断での遅刻があった場合は、
注意をした上で、2回目で辞めてもらった。
特に派遣に対しては、厳しく対処してきた。

のになぜ?

1+1=2にならない時がある。
杓子定規で、ダメな時は諦める。
そうしなければ、「フェア」にならない。
しかし、人間としてこれはできないという時がある。
社内の理解も得られない時もある。

悩んだ挙句にあらゆる手を尽くして、
今回のチャンスをつくった。が、ダメだった。

まして、得意先に迷惑をかけることになる。
諦めた。
「ほら見たことか。」なんて声が聞こえそうだ。
私の人間を見る目がないんだと思う。
または、人を育てる力がないのか。

経営の大先輩のおじのところへ行く。

「なあなあはダメだよ。」
「頭を下げてすがるような営業はして来なかった。」と。

自分が力をつけるしかない。

夜、会社に戻る。
親戚から激励の品が届いている。感謝。

売上げ7割の消える日まで、あと18日。

8月27日(金)曇り

朝から従業員25名全員と懇談をした。
ひとりひとり事務所に来てもらって思いを伺った。

一方的に9/15のことを発表しただけだったが、
ひとりひとりの思いを聞きたかった。
夕方までかかった。

「ここで働きたい。」「続けたい。」
「プランクがあってもいいです。」
25名全員
「MIYOSHIで仕事を続けたい。」だった。

一人の人は、
「何ヶ月待っても、ここで仕事したいです。
でも、もし選ばなくてはならなくなって、
ほかに大変な人がいたら、
『その人に譲ってあげなさい。』
と夫に言われました。
そうしてあげてください。」と。

この一言、何度も思い返した。

「一人一人の言うこと聞いてたら、
経営なんて出来ない。」という先輩もいた。

でも聞いて良かった。
その一人の思いに応えられないものか。

夕方、1社飛び込んだ。
「作業応援でもなんでもいいです。
やらせてください。」
「外国人はダメ。」と言われた。

さっきの「譲ってあげてください。」は外国人が発したものだ。
外国人も日本人あるものか。みな世界市民だ。

"絶対に全員分もぎ取る。"

日記を読んでの激励の電話とメールあり。
「何かできることはありませんか。」と。
こういう時は特に、本当に有難さが身にしみる。
忘れてはならない。

夕方電話にて、9月〜11月のプロジェクトの話あり。
詳しくは後日と。ありがたし。
売上7割の消える日まであと19日。

8月26日(木)晴れ


午前中1社来社。MIYOSHIのことを真剣に考えていただいて、本当に恐縮である。11月〜12月の話。
午後、経営の大先輩に会いに行く。100名の会社を持つ大先輩。
「社員と心中する思いでやってきた。
人は大事だよ。結局人だよ。
その上で、
我々は、勝たねばならない。
成功すれば、『人を大事にしたからだ。』と言われ、
失敗すれば、『情に流されたからだ。』と言われる。
だから、勝たなきゃいけない。
『人の不幸の上に、自分の幸福を築くことをしない。』
という哲学をモットーとしながらも、
経営で勝たなければ意味がない。」
心にしみる。
ちっぽけなことを追いかけずに、
全員分の仕事を取ることを決意する。
2社訪問。1社来社。
見積り依頼2社2件。
売上7割の消える日まであと20日。

8月25日(水)晴れ

朝一得意先から、「仕事取ってきていいか?」との電話あり。
昨日も。ありがたい。

MIYOSHIの為にと、
仕事を探してくれている会社が、
現在4社。感謝。。

昼出かけて戻ると、社内の様子がおかしい。

「ヒデヨシ日記」を昼休みに見たスタッフが、
ビックリして皆に知らせたようだ。

実は、
自分の気持ちをどのように伝えていいかと、
悩んでいた。が、こうなってしまっては仕方ない。

2時。ラインを止めて集合。
全員に事実をそのまま伝えた。

「ラインは、9月15日で止まります。
私は、皆とその後も仕事を続けたいと思っております。
あと21日で、どこまで仕事を取れるか分かりませんが、
全力で頑張ります。」そこまで言うのが精一杯だった。

午後一社訪問。ビックリした。
私の都合で押しかけたつもりなのに、
「急に呼び出してすみません。」と。
折り返しの電話でなく、仕事の相談だったそうだ。
この話以外にも、取れればMIYOSHIに出したいとの話をいただく。
ありがたい。

以前に、「製品が営業するんだ!」と、
先輩から教えてもらったことがあった。
その通り。ロットの終わり方。仕事の終わり方が大事だ。

「苦難がないのが幸福ではない。
苦難に負けず、たとえ倒れても、
断じて立ち上がり、乗り越え、
勝ち越えていくところに、
人生の真の幸福があり、
喜びがある。
人生は戦いである。
人生は挑戦である。
人生は鍛錬である。」

売上げ7割が消える日まであと21日。
今日2社訪問。9月の0.5割分確定。

8月24日(火)晴れ

目の覚めるFAX、ありがとうございました。

「来月の予定です。16日で終わりです。」
もう1年と3ヶ月ずっと続いてきた仕事だが、
19時9分に入った、このFAX一枚。

前に日記で書いたように、9月一杯の話は聞いていたが、
2週間早まったというのが、このFAX。驚いてすぐに電話した。
「決まったことなので、早い方がいいと思って送りました。」

ふと、自分も同じようなことをしていないか振り返った。
「はい来週で終わりです。はい今日までです。」
出す側にとってはもっと大きな金額を扱っているので、
たいしたことないとも思えてしまうものか。反省。
たかが2週間。しかし、受ける側にとっては大変なことだ。

ありがたいことに、目が覚めた。
どこかで、何とかなると思っていた自分。
まだ一ヶ月あると、どこかでゆっくりと構えていた自分。
あの時の緊張が背筋を走った。
「やってやろうじゃないの。」

「湿れる木より火を出だし
乾ける土より水を儲けんが如く」

売上げ7割が消える日まであと22日。
必ず乗り越えて見せる。ここにその体験を記す。

8月23日(月)秋の気配

会社の発展とは、売上か、利益か、
人材か、現金か、物量か、土地か、
建物か、電話か、笑顔か、車両か。。。

どん底から這い上がるときは、
もっとシンプルだったのに、
なぜだろう。分からなくなる。

午後、経営の先輩のおじさん宅へ近況報告に行く。
次の動きに忙しそうだ。大変失礼してしまった。

戻って、取引先へ、内職へ。

やらねばならないこと?
ご恩返しだ。借金の返済だ。

やりたいこと? ? ?

8月22日(日)晴れ

夜に、歌手志望の甥っ子を、
叔母に合わせに行った。

叔母は、苦労を苦労と見せずに、
プロの道を自分で勝ち取ってきた。

叔母の前で、歌う1曲2曲。
我々素人の「いいねえ。うまいじゃん。」
なんていう無責任な言葉とは大違いのアドバイス。
真剣の二字。「プロは甘くないよ!」

人に言えない苦労があるかも知れないが、
やるんだと決めて、祈って、実現していく。
ちょっとやってダメだったら違うこと、
なんて思うんだったら、最初から辞めちゃえ!

厳しいが、責任ある一言だ。
忘れかけていた、「プロ意識」に目を覚まされた思い。

自分も経営のプロならば。。。

8月20日(金)晴れ

「仕事の単価の問題は、お前の責任だ!」
「作業スピードも問題じゃない!」

昨日の続き。。。

別の業界の代表をやっている同級生が来社。
パートに、作業のスピードを上げろとは言ったことがないという。

納期に間に合わないからという理由は別として、
コストが合わないからという理由での作業スピードの話は、
責任の所在が自分にあるというのだ。

「はい。確かにその通りでございます。」反省。。。

その他に、アドバイスを2つ。
いいこと聞いちゃった。

8月19日(木)晴れ

「早い」と「速い」は別もの。

早いは、覚えるのが早い。
速いは、作業が速い。

「早い」人が「速い」とは限らない。

特に「速い」は、難しい。

同じ作業を長時間ハイスピードでこなすというのは、
ある意味特殊な技術なのかも知れない。
私も苦手だが、女性でものずごく得意な人がいる。
特に内職を長年経験したような人に多い。

この頃、この仕事の難しさをつくづくと感じる。
受けるときには、「ひとついくら」なのに、
時給で仕事をする。さらに内職では、ひとついくらだ。
そのまま内職に出す場合は、「利益」が読める。

しかし、社内で作業をする場合は、
分いくらから標準時間を出して、
あらかたの目標を与えて仕事をする。

品質を重視すれば、時間がかかる。
時間を重視すれは、品質が落ちる。

ここまでは我慢できるという「落としどころ」を、
決める訳だが、人によって違ってくる。

つまり、「落としどころ」が時間であったり、品質であったりする。
速い人には品質のことを何度も言う。
品質重視型の人には時間を言わねばならない。

ラインならともかく、
「もっと速くしろ」と言われながら仕事することほど嫌なこともない。

今日は、その嫌なことを言わねばならなかった。
「無理です。」と、はっきりと言われた。

だからと言って、速い人に品質の注意をし続けるのも嫌なもの。
結局、本人の自覚に任せるしかない。

先日7月末の日記に書いた時給の考え方。
品質とスピード、コスト意識。
この時給階段と評価の基準は、
そこそこ精度のあるものと実感した。

8月18日(水)晴れ

「英吉!お前から猪突猛進を取ったら何が残るんだ!」
かつて先輩は私を励まそうと、こう言ってくれた。
これって誉め言葉だろうか?まっいいか。

なんだかボーっとしてる。

どうにも10月以降のことを考えると重い。
もっと重いものを乗り越えてきたつもりなのに、
何とも情けない。

目先の仕事に追われることに心地良さを感じつつ、
先々のことに思いを馳せてはため息をつく。

9月の仕事は見えている。
10月だ。10月からの仕事が見えていない。

午後、銀行員来たる。
活気ある現場に感心していた。
「10月からの売上げが激減してもビックリしないでくださいよ。
言いましたからね!」と言っても信じない。

「大丈夫。MIYOSHIさんなら何とかしますよ!」
帰っていった。

夕方取引先から、10月からの大プロジェクト予告。

だめだ、自分で取りに行かねば。
猪突猛進か。やってみるか。

8月17日(火)晴

夏休み終わっての初日。

なんとなく不安。
長い休みの時には、
少なくとも前日から何らかの動きを開始するようにしている。
そうしないと、当日の朝ものすごい不安を感じるから。

昨日はそうするまでもなく、会社の電話を転送していた携帯に、
各社から電話が入った。
大阪にいたが、そのお陰でいいスタートが切れた。

今回大阪へは、車両でノンストップに挑戦。
500キロをちょうど6時間で駆け抜けた。
別に誰も何も期待もしていないのだが。。

それにしても、若干の急休みがあったものの、
皆元気に出社してくれた。うれしい。

8月9日(月)晴れ

昨日の話。

知り合いの一級建築士から、
オープンハウスのお誘いがあった。
「木の家」とのことで、午後行ってみた。
もちろん、キーボード持参で。。
50坪の敷地で裏が竹林。
特に2Fは、開放感のあるいい家だった。

実は、ちょっと下心があった。
派遣で来ている中国人の蔡君。
日大の芸術学部で建築の勉強をしているが、
なかなか就職が決まらない。

このオープンハウスで何らかの出会いがあればと、
いっしょに行ったのだが、就職は決まらなかった。

それよりも、
無性に前に川野から聞いていた「ログ」が見たくなった。

もう夕方というのに、「よし!」と日光に向かった。
「ログを建てて、定食屋をやる。」
漠然とそんなことを考えていたが、
一度も見たことがない。

2時間でついた。日光の山の中。
そこで出会った人たち。
何とも言えない安堵感がある。

特別扱いされるわけでもないが、
疎外感もない。
こういう距離感て、意識してつくれるものではない。
不思議と昔からの知り合いに会いにきたような感じ。

短時間の滞在で、日光を後にした。

「ログは無理だ。」と思った。
丸太の太さを近くで見た時にそう思った。
これは生半可なものでは出来ない。

結構見ているつもりが、
実物はTVでしか見ていなかったんだと思った。

また、テラスが腐った話も聞いた。
素人が簡単に手を出しちゃいけない。

だからやってみたい。
そんなことを思いながら、今日の納期に追われた。
明日が出荷のヤマ。

8月7日(土)晴れのち雨

そう言えば、昨日初めてお越しくださった方。

「ああ、これが例の駐車場ですか。」
「これがラインで、ここが検査ですね。」

随分と予習をしてきてくださった。
こういうことに、未だになれないので変な感じ。

さあ、土曜日。今日から1Fが休みに入り、
閑散とした感じのMIYOSHI。

2Fのメンバーは忙しい。

青梅への派遣は、川野が送った。

スピードを上げるために治具をもう一つ作製してもらい、
午前中に取りに行く。午後からピッチをあげた。

別の懸案になっていた作業は、
協力会社が2日で仕上げて、午後もって来てくれた。
助かった。今週一杯の得意先との約束に間に合った。

何しろ、7月から7社の仕事を並行する。

前の会社では、1社の仕事。
リスク回避が一番の目的だが、
頭が整理できないまま突っ走る。

よくやっている。できるスタッフに感謝。
さらに広げて、チャンスを待つ。必ずもぎ取る。

青梅へ迎えに行って、スタッフとラーメンを食った。
忙しい現場で、なれない作業となれない現場で頑張る。

会社に戻って、今日納品分を仕上げる。
夜、納品。

8月6日(金)晴れ

光がつながった。

業務連絡。
つながりました。もう大丈夫です。
家で使ってたルータをかませて、
光が夕方にやっとつながった。
パソコンがしょぼいので、早いのかどうか分からない。

その間、半田作業やお客さんの対応や、
給与の手渡しなどで、あっという間に一日が終わってしまった。

何とか無事に休み前を乗り越えることができた。
半分以上の人が、明日から長期休暇になる。
休み明けどうにか元気で集いたい。

なんて別れを惜しんでいると、
2Fはそれどころではない。
明日の土曜日も納品。
10日大量出荷の準備で大変だ。

そう言えば、
先日母校のニュースに出していただいたお陰で、
懐かしい同級生から連絡をもらった。

何ともありがたいなあ〜。

8月5日(木)晴れ

光が入った。

ずっとISDN回線で耐えてきたわが社に、
光がやってきた。
実はADSLを申し込んだら、ダメだった。。

<業務連絡>
まだ、入っただけで中のことやってません。
よって、日中のメールの対応ができません。
うまくいけば、つながるようになると思いますが、
何せ、取引先の納期優先で、
合間に社内LANの作業をやりますので、
ご了承ください。

TEL・FAXは生きてます。

8月4日(水)晴れ

11名いない中で、平常業務しろというのが無理か。
4名派遣。4名予定休み。3名急休み。

何とか乗り越えた。
なんと頼もしいスタッフかと思う。

朝、内職を廻る。
戻って2Fで今日の出荷分を仕上げる。
昨日深夜に半分やっておいてよかった。

12時から12時半まで、1Fにて検査応援。

午後から1名退社。これで12名減。
1Fのラインに入る。

4時過ぎライン終了。
たまっている検査を検査チームが残ってこなす。

4時半の送り。戻ると取引先の社長が待つ。
出荷は?入荷は?FAXは?明日の体制は?
取引先社長との会話も集中できない。

2便の送り。
そのまま一旦帰宅。
次男のハッピーバースデイ♪をやって戻る。
明日出荷分ほぼ終了。12時。

あと2日。あと2日乗り切れば、1Fの夏休み。
どうか急休みありませんように。。

8月3日(火)晴れ

すでに他社の応援に4人行っている。
ちょっと返してほしいとお願いしたが、
却下されてしまった。

8月は、暇になりそうだったので、
休みも多くとる事を決めて、
応援も気前良く出した。が、

とんでもない。新規が入って、
納期に追われて、人が足りない。
自分が入って対応する予定だったが、
昨日は急休み4名。
今日は、一人帰社。
1Fに入ることに。。
2Fの応援は全然出来なかった。

1Fの応援をしながら思う。
ちょっとでも時間が出来れば、
隣りの下準備を手伝う。
いい動きだし、素晴らしいスタッフ。
帰りに話して気がついたが、
そうしないと動かない現場ということでもあった。

明日以降更に人数が減る予定なので、
取引先に午後行くことにした。

10月以降の打ち合わせ。
MIYOSHIにとって大きな変革期になりそう。

自分が何処へ行こうとするのか。
何を目指すのか。

これまで、がむしゃらにやってきたことと、
ちょっと違う何か。
選択したり、交渉したり、クリエイトしたり。

そういう時期に来た。
自分の力が要求される時。
いっちょやったるか。と思えばチャンスだし、
守りに入れば衰退が始まる。

8月2日(月)晴れ

知っている人と、
知らない人がいるのがいやなので、
1Fの仕事が9月一杯の可能性を朝礼にて発表。

と言っても、
日記ですでに全世界に発表しているのだが。。

「まず、事実関係を確認するので、
バタバタしないでほしい。

こういう時が来ることは、
半年も一年も前から想定していたので、
だから、営業をとめた事はありません。

20人で1チームの仕事が、
4人で5チームになるかもしれないが、
何とかしのぎたいと思います。

8月、9月は、2Fへの応援をしてもらいながら、
適正を見ていきます。

また、他社への応援ということもあるかと思います。
どうか協力してください。

出来るだけ長く、
今いるみんなといっしょに仕事がしたいのです。

それでは、今週も宜しくお願い致します。」以上