3月31日(水)晴れ
ためにためた仕事を、昨日の深夜から始めた。
得意先から、資材管理表の作成の依頼が来ていたのだ。
しかし、半年さかのぼって作製しなければならず、
製品も12機種。うち半分を私がやると言ったものの、
正直言うと面倒な仕事なので後回しにしていた。
終わると6時を超えて、明るくなってしまった。
そういうところが私のいけないところで、
やりたいことを先にやる。食べたいものを先に食べる。
だって、いつ死ぬか分からないからだ。
なんてな感じでいつも大変なことが残ってしまう。反省。
1Fの朝礼の時に電話が入って参加できなかった。
もどると、
「社長は、楽しく仕事をしてもらおうと思っている。
だからいちいち、ルールを決めないで自主性に任せている。
どうか、それを理解して周囲へのマナーを守ろう。」
と、リーダーから話をしていたところだった。
私にも振られたが、「その通り!」としか言うことはない。
ラインに入ったらしゃべらないとか、
携帯は休み時間にしか使用しないとか。
いちいちルールを決めたくない。
午前中は、得意先へ納品に出掛ける。
午後は、朝までの仕事の残りを片付けた。
具合が悪くなっての退社が2名。
何とか切り抜けた。
夕方になって、さすがに心配になったので、国金へ電話をする。
先週の月曜日に行って、ちょうど10日たったからだ。
今日付けで、融資の決定が出たとのことだった。
第3者の保証人もなく、担保もなし。
おまけに親父の会社の不良債権が600万も残っていることを、
全部承知の上での融資決定。こうであれば、俄然やる気が湧いてくる。
必ずその信頼に応えてみせる。そう誓った。
3月30日(火)曇りのち雨
今日の天気のような日だった。
朝は、急な休みもなく、予定通りの体制で元気よくスタートできた。
午前中は、税理士との打合せ。
思っていることを全部ぶちまけてしまった。
ちょっと言い過ぎかと反省もしている。
結果をまとめる会計事務所と、これからのことを心配する私とでは、
話が合うはずもない。
この領収書をどの科目にするかよりも、台帳のつくり方よりも、
これから決算までの半年間をどう資金繰りするか、
お金の使い方をどうするかの指標をもらいたいのだが、
そんなことまでしてもらうほど支払ってもいないのだから、
考え方が間違っていたようだ。
そもそも税理士とは、まとめに間違いがないかどうかをチェックする仕事で、
これからの会社の夢と展望を語り合ったりするところでないことは、
前にも聞いてはいたのに、自分が勘違いをしていたようだ。
たしかに、「こうしなさい」「ああしなさい」と言われたからといって、
その通りにするだろうか。
言われた通りにしなければ、「ほら言った通りにしないからです。」と言われ、
言われた通りにしてうまくいかないからといって、税理士のせいにもできない。
結局自分が力をつけるしかないのだ。
しかし、昔、調子のいい会計事務所の担当のお陰で、
2000万の追徴課税を受けた父の会社のことを考えると、
誠実なことだけでも感謝しなければいけない。
午後は、取引先に挨拶に出掛けた。
年度末ということもあってか、非常に込んでいて、
首都高に乗れなかった。7時帰社。
本日付けでの退社2名。
うち1名は、今日そのことを聞いた。
話を聞いたが、辞める意志を決めている人に言う言葉はない。
フラットな組織の是非を考える。
少なくとも私が、もっと現場の状況を、
現場の人の意見を吸い上げれなければいけないと反省。
今日の天気のような気分の夜になった。
3月29日(月)
今日は、2Fや全体を取り仕切る川野が休み。
ある意味、この穴をどのように埋められるかを楽しみにしていた。
休みが多く私もラインに入ることになり、
一層厳しい体制になる。
ライン終了後、2Fに上がる。FAXが溜まっている。
日中に入った納品の報告がない。
夕方納品予定のものが遅れることについて、
電話に出た人間が了解を出しているにも関わらず、
社内の誰にも報告していない。などなど。
やはり、川野不在の穴は大きかった。
「私も結構やりますよ!」と、
アピールしてもらういいチャンスなのに残念。
と感じるとともに、やはり川野の仕事さばきは偉大だと思った。
自分が出来て、人にも指示して、
必要なことはいいタイミングで報告して、
その場で決断すべきところは決断する。
そんな人は、なかなかいないという事か。
振り返れば私も出来なかった。
特に、報告する内容とタイミングは、
全体感に立っていないと出来ない。
協力会社の社長来社。
3月は一杯一杯だったが、
4月に入ると空くので仕事がないかとの話。
ちょうどそのタイミングで得意先から仕事の依頼が入った。
4月にあげてほしいが可能かとのことで、即決した。
こんなこともあるもんだ。
やはり、足を使わなければダメだ。
仕事を出す側にとっては、品質・価格・納期の3拍子揃っていればどこでもいい。
しかし受ける側にとっては、大問題だ。
先週、先々週かなり廻ったつもりだったが、
自分が受ける身になれば、
こんなもんではいけないと思った。
さっそく、水曜日にアポをとった。
3月27日(土)晴れ
今日も、2Fのみの仕事で8名の出社。
いわゆるオールラウンドプレーヤーで仕事の速い、
プロジェクトリーダー中心のため、
実に小気味良く、仕事がはかどる。
私も、午前中新規の仕事を片付けて、
午後応援に。400箇所の半田作業を行った。
作業に没頭していると、頭がはたらく。
夜に、昨日お会いした人からメールが入った。
一度会社を訪問していただけるとのこと。
ぜひともマンパワーを見ていただきたいと思っている。
もう一通。同級生だ。
現在、100名ほどの会社で奮闘している。
いいサイトも紹介してくれた。
http://ginkou.moo.jp/index.html
なんとしても、乗り越えて勝利してもらいたい。
3月26日(金)晴れ
今日1Fは、棚卸のため出勤者をしぼった。
2Fには、その分応援に上がって梱包作業を手伝う。
私は午前中、営業に走った。
前に仕事をして、今止まっている得意先。
止まっている状況は承知しているので、
今後のことを相談しに行った。
もう一社、常時流れる仕事がほしいからだ。
スポットで最高5社の仕事が流れる状態になっているものの、
売上ベースでは、ほとんど2社独占になっている。
だからと言って、どちらも将来が保証されている訳ではない。
もう一社ほしい。そう先日の夕方に決意しての今日の動きだった。
熱意は、伝わっただろうか。
キーボードも見てもらいたかった。
出来るだけ多くの人に見てもらいたい。
おいしいものをつくった時は、
多くの人に食べてもらいたいと思うのと同じ感触だろうか。
「これ雑誌で見ましたよ。」と言われた。
月刊アスキーを見てくださったようだ。
昼に、一旦帰社して、すぐに六本木へ出掛けた。
エンジンさんにて、読売新聞の撮影とのことだった。
最新ものづくり事情のような特集だそうで、
4月6日か13日頃の夕刊の掲載とのこと。
いよいよものづくり研究会の存在意義を感じるし、
それを訴えさせていただいた。8時帰社。
藤塾長や伊藤社長はじめ、スタッフの方々のお陰で、
本当にものづくりの考え方が変わった。
もっと言えば、生活スタイルが変わった。
レポート提出まであと5日。
しっかりとまとめて、
せっかくなので、この思いをとどめておきたい。
3月25日(木)曇りのち雨
朝から、娘の小学校の入学説明会に行った。
幼稚園の行事と重なったため、妻と手分けをしたのだ。
娘は、電車で通うことになったが、物騒な世の中になったものだ。
「悪意を持った人を刺激しないことが大事。」と。
特に電車の中で、気をつけるように。
またすれ違うときも、半身になってぶつからないように。など。
「困ったときは、大人に聞きなさい。」なんてことは、この世に存在しなくなった。
「切れる大人がいるから、とにかく『はい』と言っておきなさい。」とのことだった。
淋しいことだ。子供に信頼される大人になりたい。
そういう世の中がつくれないものだろうか。
会社に戻って、いくつか仕事をした上で約束の会社に急いだ。
新しい仕事の話だった。大きな売上げにはならなくても、大事な仕事だし、興味がある。
夜は、取引先と食事の約束をしていた。
彼はこの業界を辞めて、パン職人になるという。
お客さんの顔を見て仕事がしたいのだそうだ。
現在は、最終消費者の顔が見えないところで、
品質管理や生産技術をしていたが、
納期に追われて深く掘り下げられない。
ユーザーでなく、得意先の言い分で品質を妥協せざるを得ないのが我慢ならない。と。
私なんか妥協しまくっているのに、偉い!
大賛成した。彼ならきっといいパン職人になると思う。
最初は、儲からないだろうが、そこで信念がぶれないことを祈る。
そもそも、下請け製造業は、妥協から始まる。
決まった価格のものを、決まった納期で、決まった品質で納める。
それより、安く、早く、いいものをつくれば得意先には喜ばれるだろうが、
会社に利益が出ない。出なければ得意先に値上げを要求するか、
会社が倒産する。結局得意先に迷惑をかけることになる。
いつまでも、ハーハー息をかけて磨いているわけにはいかない。
しかし、心ある作り手には「いつかそんな仕事をしたい」と言う願望が付きまとう。
彼には、頑張ってほしい。深き思いと消費者とのいい接点が生まれることを祈る。
3月24日(水)小雨
朝目覚めたときから、頭が急速に回転し始めた。
「そうだ。日本スタイルとは”魂”だ。」!。
いざ、文章にしようとすると思い出せない。
今日から1名合流。
朝のピックアップの車両の中で面接終了して、朝から作業に入った。
午後5時、弓削多醤油さんへ見学に行かせていただいた。
以外に醤油の世界は、あまり研究され尽くしていないという。
実は菌のことなど、経験に基づいてうまく言っていることが多く、
科学的に証明されていないことなども多いのだそうだ。
もろみの蔵などは、時間の流れがゆっくりに感じた。
3月23日(火)曇りのち晴れ
3時に会社訪問。
吉川さんが連れて行ってくれた。
基板屋さんである。
はじめての訪問にもかかわらず
丁寧に対応してくれ、現場の案内もしてくれた。
そもそも基板屋とは、生基板製作会社のことを言うとは今日知った。
私の言う基板屋は、実装屋とか組立て屋とか言うそうだ。
経営20年の先輩社長のお言葉は重かった。
中小の経営は、営業・資金繰り・労務管理の3つだ。
抜いたほうがいいぞ、なるようにしかならないんだから。
そもそも銀行は金を借りるところ。いつも早く結論だけくれと言ってる。
電卓ばっかりたたいてたって売上げは上がらん。
注文もらって、収めて、回収する。その結果資金繰りがまわる。
社長も創業当時は、印鑑も持たずに「手形割ってくれ。」と銀行に行ったそうだが、
かなりご謙遜されてお話をされていたと思う。
3月22日(月)曇りのち雨
午前中は、国金へ行く準備。
先週末、一通の速達が届いた。
「以下の書類を用意して、来てください。」と。
その書類たるや、最初に商工会を通じて申し込んだときよりも多いくらいだ。
会社に関するものはおろか、個人の通帳や、
過去の家賃の支払いを証明するものまで手提げ鞄に詰め込んで、出かけた。
午後一時、約束の時間。
なにやらチェックしながら、ひとつひとつ整理していく。
会社と自分の家賃の支払いにいたっては、
わざと通帳を自分でめくって、1年分しっかり声に出して説明した。
決算書と試算表のチェックの際に、計算の間違いや、
科目の違いなどを指摘を受ける。たのむから税理士しっかりしてくれ。
途中質問がくる。
「前々年に比べ、前年、今年はなぜこんなに伸びているのですか?
普通、売上が伸びると原価率が上がるものですが。。。」
よくぞ聞いてくれた!「そうです。そこが味噌なんです。」と、
言わんばかりにしゃべった。やってきたことをしゃべりまくった。
「では最後に確認したいことがあります。」
「日豊電子の役員さんですね。」
「現在どのようになってますか?」と。
そう、事実上倒産した父の会社のことだ。ありのまま説明した。
「お父さんの会社に国金からの借入金があり、それがマイナス点です。」と。
「結構です。私は役員ですが、経理だけはノータッチでしたからわかりません。
しかし、整理については誠心誠意対応して参りました。
法的に私が背負うものはありませんが、
もし、このことが原因で、事情が変わるのならばそのまま受けます。」
「分かりました。では、10日間くらい審査に時間がかかりますので、通知を待ってください。」
私は、連帯保証人ではない。法的責任はないが、道義的責任があるという話か。
1時間40分の審査だった。
不思議なことがひとつ。
今後のビジョンをひとつも聞いてくれなかった。
過去のことは、会社のこと、自分のこと、父のこと散々審査した。
しかし、今後私が何をしようをしているか、今何を目指して頑張っているかは聞いてくれなかった。
仕方がないので、聞いてもいないのに、サンプルまで持ち出して自分でしゃべった。
どうだろうか。これでいいのだろうか。
借りようとしている自分の立場も忘れて、こんなふうに思ってしまう。
3月18日(木)雨 強風
今日は、午前中娘の卒園式。
出席できるかどうかは、ぎりぎりまで結論を出さずにいようと思ったが、
「仕事が忙しいから」と、出席できないお父さんもたくさんいるのに、
現場の信頼できるスタッフのお陰で出席できた。感謝。
常々思うことは、このお母さん達にはかなわないということ。
母の会の方々の姿勢に頭が下がる。
ちょっと自慢だが、娘が皆勤賞をもらった。
2年間送り出してくれた妻に感謝。
午後は、福生の会社を訪問。
小さな規模ながら、一生懸命やっている会社と、
その息吹を感じた。特に社長の姿勢に感銘を受ける。
ほぼ3日間会社を空けた。
もちろん、携帯はあるし連絡はとっている。
今週は営業の週だ!と宣言をしての外回りだし、
こうして外を回らなければ、ネットワークが出来ない。
それが出来なければ中小の勝ち目はないし、勝ち残れない。
なのに、いやな感じなのだ。
「現場は忙しいのに、社長は何をしているの?」
なんて声が聞こえてきそうで、いてもたってもいられなくなる。
会社にいれば、外に出なければと落ち着かないし、
外に出れば、戻らなければと落ち着かない。
現場に入り込んでいるときは大声でものが言えるが、
ちょっと現場を離れると、現場にものが言いづらくなる。
こんな事が、これから一生続くのだろうか。
3月17日(水)晴
出社して、体制を確認して出かける。
Y社の社長と2社訪問だ。
東大和の会社に到着。
社長の工夫で納期や品質の問題を乗り越えていると感じた。
また、現場のスタッフ育成の為に、現場でできるだけをものを言わないようにしてい
るとも。
社長曰く「ちょっと見ればすぐにわかる」のだそうだ。
それをあえて失敗させて考えさせるようにしているという。
どうしても危ないポイントだけを抑えているとのこと。
同感。ただ、その匂いを感じ取る感覚がベテラン社長の凄さだと思う。
桶川の会社を訪問。
100名ほどで運営している会社。
専務は謙遜されているが、かなりきっちり仕事をされる会社と感じた。
パートさんの為に、午前だけのラインがあったりする。
かと思えば、毎日他の現場仕事にパートも出向いていたりする。
なるほど、これくらいの規模ならスポットも入りやすいのかも。
10人くらいの会社は暇などあっては会社がつぶれる。
暇がないのだからスポットの仕事を入れにくい。
1000人の会社は、単価が高いし面倒なことはやりたがらない。
ここは、ラインをいくつも抱えていて、翌日の仕事を今日計画するので、
対応がしやすいという。
さて、会社に帰る道々電話が入った。午後6:00ころか。
鉄パレットが倒れて、隣りの会社に穴を空けたという。
隣りの会社は、倉庫なので人がいない。
これまでタイミングが合わずに挨拶も出来なかった。
帰ると確かに、壁に穴があいていた。
直ぐに会社を調べた。比較的近くに事務所があるとわかって、
直ぐに出かけた。専務に初めてお会いしてご挨拶した。
「そんなこともありますよ。」と言ってくださったが、
そのまま事情を説明して、とにかく平謝りに謝った。
3月13日(土)晴
8時18分。ん?大変だー!
所沢駅8時15分ピックアップの運転手が、今起きた。
所沢のメンバーには、航空公園へ電車にて移動してもらう。
やべー!なんということだ。
「ゴメンナサイ!なんでもします。」皆に平謝りに謝った。
嬉しいことに、目覚まし時計を2歳の息子が止められるようになったようだ。
そこへ、キーボードの件で昨日の深夜帰り。自分の中に油断もあったのだろう。
何を言っても遅刻は絶対にいかん。本当にすみませんでした。
1Fでは、ラインの修理。
電気系統を2Fの現在使用していないものとそっくり入れ替えた。
何とか午前中には動くようになった。
私は、ロッカーを買いに出掛けた。
1Fのメンバーが鍵の付くロッカーがないために貴重品の置き場に困っている。
先日見かけた古道具屋へ行ってみた。
¥35000。値切った。¥32000。鍵はついているがまわらないものがあった。
やめた。帰ってきて、アスクルで頼んだ。¥47000。
お金をかければ良いというものじゃない。が、
いい環境作りは、出来るときにやっておきたい。
3月12日(金)晴
朝は、比較的平穏にスタートした。
休みも少なく、2Fに2名の応援が上がった。久しぶりだ。
11時から、労務士坂田さんとの打合せ。
健康診断の予約の書類。
残業手当ての扱い。
就業規則の内容刷り合わせ。
盛だくさんの内容をテキパキとこなし、12時くらいに終了した。
さすが坂田さん、手際がいい。
運がいいのか悪いのか、お蔭様で立派な会社になった。
部材の引き取りに急遽江東区へ行くことになった。
254号を池袋まで行って、首都高へ。
どういう訳か、とにかく込んでいた。
眠い。とにかく眠い。眠い時の首都高の渋滞はきつい。
帰りは空いてるるように見えたが、とんでもない。眠い。
歌ったり、叫んだりしながら眠気と闘った。
いつも、ハンドルを握ると眠くなるが、特別だった。
春だから余計だろうか。帰ると6時を過ぎていた。
今日もラインが止まってしまったという。
ハンドパワーラインで終わった所だ。
明日も出て、修理することにした。
帰って夜中。小島氏からブナを見たいと電話が入る。
なかなか会えなかったので、今日しかチャンスがないと思い、
会社に取りに行った。もう一人電話が入る。
九州在住の同級生が、こちらに来ているので、
八王子まで来ないかという。
小島氏ととんだ。
道中、会社の現状について語り合った。
独立当初に比べれば、大変な進歩だとつくづく感じた。感謝。
3月11日(木)晴
朝外に出ると春の陽気。
風の強い一日だった。
午前中に商工会へ出掛ける。3度目の正直。
書類は相整い滞りなく終わった。と思ったら、
今度はその書類を持って銀行へ行ってください。とのこと。
所沢へ行く。
第3者の保証人がなければ申し込むことすら出来ないと返された。
あいも変わらずめんどくせー。
今の業績を見れば保証人になってくれる人もいるかもしれないが、
生理的にいやなのだ。
よし、こうなったら頭下げて「借りてください。」
と言われるまで借りるもんか。とも思うがどうだろうか。
夕方からものづくり研究会。
実は、本日午後からそわそわしていた。
書類に目を通したり、配布したい資料をコピーしたり。
今日は、第2号機「ブナ」を発表する日だからだ。
いつも、ちょっとでしゃばりすぎかと反省する。
しかし、今日もしゃべってしまった。
思いのあるものには、どうしても熱くなってしまう。
先日、254号沿いの麦飯屋に寄った。
外にとめてある黄色いかわいい車があった。
「あの黄色い車、動くんですか?」
聞いてしまったが最後。
その店主、それから延々と40分、愛車のことを語り出した。
裏には、さらに4台とまっていた。
最後の一言が印象的。
「車たちも喜んでいると思いますよ。」
一緒にいた川野が言った。
「社長がキーボードのこと語る時、あんな感じ。」
そんな感じだったろうか。
さて、楽しみの塾長の話。
「今、日本は経済よりも文化が注目されている。
この資料にあるジャパニーズクールもそのもの。
その中でも、一番の先兵はものづくりである。
日本の時計がスイスの時計に負けたのはなぜか?
時計の売上高は、輸入品の方が上だという。
それは、販売点数で日本性が上回ったとしても売上でかなわない。
日本は匠を追及して附加価値をつけねばならない。が、
大手にはできない。中小にしかできない。」
やっぱり売らない。
3月10日(水)晴
給料日。今回も滞りなく支払えることに感謝。
いつものように一人一人に手渡しながら、
今回からの明細のシステムの説明をする。
半日以上かかった。
社員ゼロ。
皆「部長!」だの「先生!」だの勝手に呼び合っているが、
役職などないフラットな組織。
まとめられる人がまとめる自然に任せたパートとアルバイトの集団。
言われたことは出来る人、人に教えられる人、段取りできる人、
取引先と交渉できる人、納期意識のある人、コスト意識のある人、
の順で昇給に反映されていく。時給にして2倍の格差。
その上で、仕事の出来る人に仕事が集中する。
「あの人に手伝ってもらいたい。」「この人がいい。」
とご指名がかかる人ほど月間の就業時間がかさむ。
結果的に月にすると3倍くらいの格差がでる。
それでいいと思う。これが公平ということだと思う。
逆に厳しいが、ここ数ヶ月で減給せざる得ない人もいた。
先月2月は、生産日数が少ない中に、
労務環境整備の費用が乗っかりぎりぎりだった。
皆は喜んでくれただろうか。
3月9日(火)晴
小野塚氏と共に、一人の税理士にお会いする。
話は、非常にエキサイティングだった。その方曰く、
「迷った時は、損得でなく正邪で判断せよ。
損得で判断すると失敗するよ。」
と言われた自転車屋の一言を大事にしているという。
「それは、金に困らない人の言葉じゃないですか。
今日明日の米がない時に、そんなこと言えますか?」
と、私は意地の悪い言葉を投げかける。
一昨年の末、独立して2つ目の仕事を始めようかどうしようかと迷ったとき。
赤字は見えていた。それまでに貯めた70万位の赤字ならいいと思った。
それより、お客さんが急いでいた。安いのでやるところがなかったのだろう。
すでに納期が迫っている。すぐに始めなければお客さんが困ることになる。
やってみましょう!元気よく決めたは良かったが、大変なことになった。
タイムカードに1日17時間なんてこともあった。
とにかく納期に間に合わせる。残業・休日なんでもやった。
間に合った!お客さんは喜んでくれた。
大赤字だった。70万なんてとんでもない。
200万位の赤字をつくった。
間もなく同じお客さんから、同じ仕事が入った。
10倍くらいのロットで、価格も見直してくれた。
人生の師匠から教わったこと、
「人の前に明かりを灯せば、我が前明らかなるが如し。」
自分が幸せになって、人の幸せを考えるのではない。
人の幸せを考える中に自分の幸せがある。
この姿勢、貫けるかどうか。
3月8日(月)晴
めんどくせー!と思うこと事態が傲慢なのか。
制度融資の申込みのために商工会へ行った。
先日来てもらったが、会社が条件に合わず
「もう一回申込書を書いてください。」とのことだった。
理由は、会社の従業員数が多すぎるのと、売上が大きくて、
「小規模事業資金」の条件に当てはまらないと言う。
そういえば、一年くらい前は小さくて相手にされなかった。
今回、「事業資金」で書き直して持っていったが、
今度はそれ以外の書類が整ってないという。
また帰ってきた。めんどくせー!。
それから連帯保証人に第3者と言われたが断わった。
家族でも言われたが、それも断わった。
自分が一度痛い目にあっているので、
軽々しく連帯保証人など誰にもなってほしくない。
そもそも銀行は貸してくれると言っているのだから、
それで断わられるのならそれでいい。
つまらないことに時間を割かれたあげくに、
決算書を眺めて、「利益は出てますかねー。」じゃねーんだよ。
こっちは、利益出すために日中の時間を割きたくないんだ。
分からねーのか。
ここまで読み返していると、やっぱり傲慢か。
でも言わしてほしい。
本当に借りたいときは、担保もなけりゃ保証人もつかない。
決算書なんか見れたもんじゃない。
そんな時に借りに行ったって門前払いだ。
こんどは利益が出ました。
でも資金繰りは、追いつきません。
あたり前だ。売上は手形でもらって給料は現金で払ってるんだから。
さあ、借ります。こんどはいいお客さんのはず。
儲かる人にしか貸さないならそれでいい。それなりに対応してほしい。
それとも、やっぱり大して信用がないということか。
なんでもいいから、お願いだから、役所と床屋は深夜に営業してほしい。
3月7日(日)晴
今日は、昨日に続き出勤4名にて携帯基地局電源装置の組みたて。
予定の40台を5時までに終わらせた。
明日からの週は新製品の出荷他、
会社として過去最高の出荷量になることもあって、
今日中に終わったことは、本当にありがたかった。
さあ、いよいよ嵐の週をむかえる。
3月6日(土)晴
1Fでは、ヨコタ電子さんに送っていただいた「リレー」で、
ラインの復帰作業に入った。
結局昼になって、チェーンの引っ張り強度によるモーターへの過負荷が原因と分かった。
動いた。よかった。これでズラを被らなくて済む。
今日は、携帯会社の電源装置組み。
平日に流したい所だが、ありがたいことに一杯一杯なのだ。
かつて7人でラインを組んでいたときは一日50台を作っていたが、
今日は4人。前加工からでなかなか進まないが昼頃に調子にのってきた。
スポットで流すときの悩みどころは、なんと言っても段取り時間だ。
1台に対する段取り時間の配分は、ロットが少ないほど負担が大きい。
まして、作業者も久々の作業でエンジンがかかるのに時間を要する上に、
細かい部分が思い出せない。
残念ながら、最後の1台までロット管理されているので、
サンプルの1台もない。手順書と言ってもISO用で役に立たない。
だから、出来るだけ写真を撮っておいて対応している。
今回は51台ロット。今日15台完成。
他社の出荷のピークで来週に回す訳にもいかないため、
明日もやることにした。担当者は快く承諾してくれた。
ありがたし。
3月5日(金)晴
例の件、協力会社から朝一で電話が入る。
「次のロット、今日実装できるようになりました!」と。
いつもこうだ。
「大丈夫。何とかしなきゃ。」と受けて、
途中散々ひやひやさせて、結局まとめる。
そういう協力会社だから助かる。
出かけるつもりで1Fに行くと、ラインが止まっている。
前の煙事件とは違うようだが、電気的なトラブルのようだ。
出かけるのをやめて、対処にあたった。
ラインは、1分55秒ごとにチャイムを鳴らしてから一こま送るようになっている
が、
チャイムまで鳴って、動き出さずに止まってしまう。
もう一回リセットするが、同じ症状。
ON・OFFに関することから、リレーが怪しいと判断したが、
時間がかかりそうだ。
「時間がかかりそうだから、ハンドパワーでお願いします!」
2回目のハンドパワーライン。
作業しては次の工程へ送った。
ちょうどそこへヨコタ電子の横田社長が来社。
別件だったが、こちらの方が優先だ。
「社長。なんとかこのリレー手に入りませんか?」
今日は無理にしても、何とかこの休み中に動作確認までしたい。
「分かりました。聞いてみましょう。」とすぐに確認をしてくれたがない様子。
「帰りにパーツ屋さんに寄ってみます。」と言って出かけられた。
一方、ラインはどうなったか。
午後、一向に復帰しないラインだったが、
ハンドパワーラインが以外や以外、結構まわっている。
私もなぜかそこにあった”剥げズラ”を被って詫びた。
「これで許してください。」笑って許してくれた。
結局一日復帰しなかったが、予定に近い数が上がった。
夕方電話が入る。
「リレーありましたよ。月曜日にそちらに送れるそうです。」
なんというありがたいことか。
帰ってまで探してくれているとは思わなかった。
「なんとか明日着になりませんかねー。」
なんとずーずーしいことかこの私。
「やってみましょう。」(翌日朝一で届いた。)
このご恩は、一生忘れません。
3月4日(木)晴
協力会社から連絡がない。
折り返しお願いしても返ってこない。
少なくとも、深夜に作製した治具に対して、
コメントがあっても良さそうだが。。。
最終的にこちらからの電話で話ができた。
すでに午後3時だ。「冶具ご苦労様。」と。
ついに切れてしまった。
協力会社を飛び越えて、下請けのサポートをしたのだ。
それだけ真剣だいうことは伝わったのだろうか?
確かにしっかりした計画など立たないままお互いに動いている。
でも、ちょっと前にお互いに確認しあった内容から逸脱しそうなときは、
逸脱しそうな方が連絡をするのが常識ではないのか?
確かに無理をお願いしているかもしれない。
しかし、一旦「よしやってみましょう。」と動き出した以上は、
「大丈夫かと思いましたが、こういう問題があって事情が変わりました。
どうしましょうか?」と、事情が変わった側が連絡をすべきではないのか?
これは、どちらが仕事を出して、どちらがもらっているということとは関係ないと思うが。
今日の仕上がりを取りに行く。
治具の件、現場は喜んでくれていた。
月火で500台の出荷。かなうだろうか。
3月3日(水)晴
午後からラインへ入った。
久々のラインで思うように手が働かない。
「ブランクがあると特に左手のビスの送りがうまくいかなくなる。」
なんて思いながらも、
新製品の基板の仕上がりが気ががりでならない。
ライン終わって連絡。不安がよぎる。
バックあり。「治具を造らないと量産できない。」と。
明日には、250枚の基板を入れてほしいところに、
今日15枚、明日はまだ見えないと言う。
午後5時をまわっている。
そういうことは早く言ってほしい。
1枚の基板に38個のLED。
このLEDが倒れない治具が必要とのことだが、
そんなこともあろうかと早めにサンプルを渡していたのに、
自動半田が終わって、すでに丸2日経ってしまった。
「明日行って検討します。」それでは遅い。
「今晩中に治具を仕上げて、明日朝から取りかかってもらわないと間に合わないです
よ!」
と言うも埒があかない。
協力会社の外注先に直接連絡するが、
特に納期は言われていないという。
「250枚?とても無理ですよ。」
すぐに、協力会社に連絡し直すがもう連絡が取れない。
自分でやるしかない。
すぐに現場朝霞に向かった。
夜7時到着。初めて会う人だ。
何が問題なのか、どんな治具があれば早くできるのかを聞く。
会社へ帰って、弁当食って取りかかった。
立ちあがったのは、わが社の”匠”松本氏62歳だ。
とにかく治具作りの名人。
38本のLEDの周辺を囲う治具をつくることにした。
ラウンドの基板実装ラインから計算すると30個必要。
まず部材を探す。ありネタで造るしかない。
外の倉庫にアルミの棒を発見。次に型を作るための部材。
これもガラクタの中から一つ探してきた。
ノコで切って立方体の型をつくる。
その型に一本ずつ巻いて作っていく。
私は、ほとんど何もしていない。
仕方ないので、別の仕事をしながら待つ。
午前0時。3個出来た。
午前2時。21個出来た。
30個にはいたらなかったが、これでも充分役に立つはず。
袋に詰めて会社を出て、協力会社の外注先朝霞に再度向かった。
当然誰もいない。
「お世話になります。治具21個できました。
使ってみてください。」ポストにメモと治具を入れた。
午前2時半。問題発生から7時間半。一応出来ることはやった。
松本氏を家に送った。午前3時。
本当にありがたい。
誰がなんと言おうと、約束した納期は絶対に守る。
3月2日(火)晴
AM10:00から新規の仕事の打合せで、
神奈川県の大和市へ。
近くまで早く着いたので少し時間を潰す。
130名くらいの会社。非常に丁寧な対応に感謝。
組立てに関することはOK。スペースの問題に心配あり。
細やかは生産納期管理で対処できるか依頼をする。
開発部隊のメンバーとの打合せだったが、
失礼ながら皆活気があって、新しいことに貪欲で関心した。
ふつう会社もそこそこの規模になると、
沈滞するか、管理地獄にはまってお堅くなってしまうかだが、
出来たら、今後とも是非お付き合いしたいと思った。
思いがけず、木製のキーボードの話になった。
「そうですよね。手に触れる部分だから木がいいですよね。」
なんて間髪いれずに共感してくれた。持ってくれば良かった。
いつも、この話になるとパッと話しに花が咲く。
このキーボード、いろんな意味をもっている。
帰ると8:00頃になっていた。
たまった仕事を片付けて12時になってしまった。
3月1日(月)晴
今日は、新製品のTV放映用として、
第1ロットを10台完成させる勝負の日。
基板部材の支給があったのは、先週末。
筐体の入荷が昨日。付属品が今日入荷予定。
基板は、土曜にプログラムして、日曜日に実装した。
そして本日、ディスクリート(手実装)品の実装を行なう。
平行して、MIYOSHI内にて筐体に前加工を施す。
付属品が入荷。何とかうまくいって基板待ちになった。
待っていても仕方ないので、得意先と基板屋さんへ行く。
何か不具合があれば、そこで修正をするためだ。
明日の朝までにはとにかく10台動くものを作るのがノルマ。
できたての基板を確認。1台目を組立て通電。動かない。
焦る。。。手実装部分のプリッジと判明。
今度はLEDの足が別の部品にあたりショートしていることが判明。
短く切りなおす。
その他、種々問題を何とか乗り越えて完成。PM7:30。
部材支給から72時間後の初回ロット完成。どうだ!中国勝てるか!
幸運だったと思う。解明に時間のかかる問題が一つでも起きていれば、
TVの撮りに間に合わないなんていう事態も起こりかねない綱渡り。
開発と初回の生産に時間が無さ過ぎる。
でも、そこを何とかするのが我々の仕事か。
この業界、体力と根性です。