HIDEYOSHI DIARY

MIYOSHI代表、佐藤英吉の周りで巻き起こる日々の出来事から、
ちょっとした気付きや、深い学び、そして、驚きWOW!
そんな奮闘ぶりを20年間、ヒデヨシ日記に書き残しています。
「今日の学び」を常に己に言い聞かせ、人間革命していくために。

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2004年2月の日記

2月28日(土)晴

今日は、2Fが生産・出荷。1FはOFF。

今日は、1Fのレイアウト変更。
1Fのフィリピン・アメリカ・ジャパンメンバーが、
2Fの休憩室を使わず1Fの作業場で休憩をしていて、
可哀想なので休憩所をつくることにした。

作業場を別の場所に移してスペースを確保。
テーブルを8人が囲めるようにした。
ついでにパチスロを並べて、パチスロバーに。
パトライトが出てきたので、廻してみたりしてるうちに一日が終わってしまった。

何してんだ俺達・・・
ちなみに、2Fはまじめに一日仕事をしておりました。

2月27日(金)晴

1Fの体制がほぼ整って数日。
この2日間ほど、ほとんど電話やパソコンでの仕事が多く、
どうも気持ちが落ち着かない。
体を動かしていないとダメなようだ。 昨日、得意先からの要望。
「支給部品の在庫報告を毎月せよ。」と。
午前中に短時間で、対応を練った。
この半年の新規取引先にもかかわらず、
すでに12品目になっている。

今までは、品目ごとに担当者がついて、
資材、生産、品質を全て引き受けていた。
多品種、短納期で小ロットの場合は、これは有効だった。
が、一元管理をしていくとなると、
専門化していく必要がある。

結局、資材担当者、生産担当者(兼品質管理者)と分けることにして、
在庫は、エクセルにて管理することにした。

この分野は、私が丸井本社時代に教わった得意分野だが、
実はあえて取り入れてなかった。

手書き大歓迎でやってきた。
パソコンの前に座ると、結局生産性が悪くなるからだ。

ぎりぎりまで手書きでやって、どうしても、
①同じことの繰り返し②多大な計算③検索作業で、
手では生産性が悪いと判断したときに仕方なく使う。
一般的に、ワープロ機能として使用していることが多く、
社内は綺麗に保たれているが、事務所にはパソコンとにらめっこしている社員が、
わんさかいるという光景が大手ほど目立つ。
うちは、こんなやり方では勝負できない。

在庫管理票を12品目分作った。2時間ほどで完成しただろうか。
しかし、これを使用する人。メンテする人。間違いを正す人。
もっと良い表にしたいと思う人(私)。
これから、何年も換算すると相当な時間を、この表の為に費やすのだろう。

2月26日(木)晴

・外回りの清掃。
・新製品マスクデータが古い問題の対処。
・昔辞めた人から、源泉徴収票送付の依頼。
・基板部品不足の対応。
・外部駐車場のお願い。
・福利厚生についての打合せ。
・来週の納品スケジュールの打合せ。
・車検間近の車両の対応。
・銀行へ入金確認と小口引出し。少し打合せ。
・商工会へ電話。明日の約束。
・派遣会社からの相談。
・川越法務局、田無法務局へ行く準備。
・産業廃棄物回収。書類記入と打合せ。
・内職への指導。荷降ろし。
・TV放映用サンプル製造準備。
・返品内容についての対処。

一日が終わった。

2月25日(水)晴

急休み1名。そういえば急休みが最近随分と減った。
今は、2人3人休んでも問題なく動く体制になっているが、
そうなると休みが少なくなるのは不思議な法則だ。

明日、産業廃棄物の収集日なので、
朝から、会社内・倉庫の整理を始めた。
やめやれなくなった。
あれやこれややっているうちに昼になってしまった。
ラインが順調に動いて、心置きなく外の仕事を出来ることほどありがたいことはない。

結局、午後いっぱいかかってしまった。
かなりのゴミがでた。明日乗り切るだろうか?
ゴミ屋さんに単価の変更の提案をした。
いままで、あまりに安く対応してくれた為に助かってきたが、
いつまでも甘えるわけにいかない。

2月24日(火)晴

入らない。
朝入る予定のケースが入らないとの連絡。
香港からの空輸にトラブルが発生とのこと。
納期は?ずらせない。いつものこと。

「分かりました。なんとかしましょう。
成田でもどこでも取りに行きます。
とにかく、今日前加工に入りたいんです。」
と訴えるものの、今日の夜に成田着、
それから税関を出るまでに2~3時間かかるという。
得意先も平謝りだ。輸入の担当者からも連絡が入った。

待つしかない。明日の朝着になって24時間の遅れ。
別の前加工を進めながら、明日以降の人の確保をする。

午後から、病院へ行く。会社健康診断の申込だ。
先日、監督署から毎年1回健康診断をしなさいと、勧告があった。
行ってみて思ったが前の会社は、
30年間健康診断などしたことがなかった。
私の会社はまだ1年半。売上が順調になって半年。
支払いのサイトも来ないうちにこういうことになった。
そもそも労務士と順序だてて整備していくところだった。
「今やろうと思ってたのに。」仕方なし。

3月は、5社の仕事が重なる予定で、
今のうちにやっておかねば、いつ身動き取れなくなるか分からない。

2月23日(月)晴

おととい造った駐車場のおかげで、
順調に車出勤者が駐車をしていく。

全体朝礼。内容は4点。
・今週の予定。
・駐車場完成の報告・使用について。
・タイムカードの押すタイミングと残業について。
・キーボード完成の報告。

皆喜んでくれていると勘違いしていた。
帰る時間になって、スタッフからクレームがあがった。
「とめていい人と悪い人の基準が分からない。」と。
それでも止められないフタッフからだった。
夕方には近隣の会社にもう一回あたりに行っていたが、
たしかに配慮が足りなかったか。。
会社に"皆"という概念を持ち込んでは行けないのだと思った。

同じことがあっても感じ方が違う。
少なくとも、私はそういう立場でいなければいけない。
分かっているつもりが、分かっていなかった。

もう5台位止める場所が、必要か。

2月21日(土)晴

今日は、男5人で駐車場工事だ。
先日、周辺をさがして廻ったが、
どうしても見つからないので、ついに自分達で作ることにした。

材料は、昨日買っておいた。
コンクリのステップ大7個小3個(あとで2個追加)。
車輪止めに使うコンクリ7本。砂利1㎡。計6万位。

現場の片付けからはじめる。

ゲジゲジやミミズと格闘しながら小一時間。
ほぼ片付いた。ステップの配置。
合わない箇所の直し、杭打ち。
足りない部材の買いだし。
あっという間に午前中を終わってしまった。

砂利の搬入をすると、多すぎてならしに時間がかかる。
最終的に分散して、水をまいてなんとか形になった。午後3時。

なかなかすばらしい駐車スペースを作ることが出来たと思う。
さっそく、数名に月曜日から車で来て大丈夫だよ。と連絡。
喜ぶ顔が目に浮かぶ。

栃木県小山へ急ぐ。
喜市さんのところへ、動くキーボード第2号を取りに向かった。
檜に次いで、ブナで作製したものが出来たという。
5時過ぎに到着。2度も来てもらうなんてと恐縮していた。
居酒屋に入って、そのキーボードを手にした。

ベースは同じキーボードなので、
図面に時間が掛からなかったとは言え、
手作りでのキー作製に変わりはない。
またしても、ぬくもりの伝わる逸品だ。

テーブルの上に広げて話をしていると、
店員さんが目を丸くしていた。
「今日は、特別に触らせてあげます。」と冗談で言うと、
なでたり、押したりして戻っていった。
次は別の店員さんが出てきた。
「すごいものがあると聞いて来ました。」
後で、ご主人と分かった。
そのご主人、ぜひこのキーボードが欲しいと言っていたと後で伺った。

このキーボードは、1993年日本で初めて世界遺産に指定された、
青森県白神山地の天然ブナのを取り寄せて作製したものだという。

檜に比べて、密度が高く硬い。耐久性に優れているという。
ネジを使わないで、組み木にする手法は変えていないが、
木口から湿気を吸うので、組み方に神経を注いだ。
合わせ目は、綺麗に仕上げても、時間がたつと段差がでる。何度も削った。
最後はつや消しで仕上げたが、その下がつやありなので、
使いこんでいくうちに艶が出てくるという。全部で5~6回塗った。
使うキーの色の変化や、アームレスト部分の艶の変化が楽しみだという。
今回は、キーの接着が早くて戸惑ったとも。
喜市さん曰く「これ以上もこれ以下もありません。」と。

喜市さんとの話は盛り上がった。
やはり、ものづくりの原点があるような気がしてならない。
忘れないうちにメモ代わりに箇条書きにしておく。

・せっかく買うんだったら、そのものが何でどういうふうに作られたのか。
それを知らなきゃ面白くない。「高いからいいもの」じゃない。

・やりたい仕事とやりたくない仕事がある。その人がどれだけ欲しいかで、
自分の気持ちが動く。今回はやりたいと思わなかったのに、
佐藤さん真弓さんのしつこさで、思いが伝わってきてつくった。
私がすごいんじゃなくて、やらせたあなた方がすごいと思う。

・使いやすさを追求していくといいデザインになる。

・できれば、家具でも高さはどれくらいとかオーナーが参加していくと楽しい。
作り手としての私自身は、企画からやるのは大変。
→これにはさすがに反論「喜市さんにとっては悩む時間がムダと思うかも知れない
が、

その分伝わってくるものがある。アームレストしか要望していないのに
『佐藤さんのことを考えて』ここまでのものを作った。これが私のサプライズ。
私が指定したものをそのまま作ってもらっても、この感動はない。」と。

・請求書を書くのが私の苦手なジャンルだ。自分を評価するみたいで。
出来れば人にやってもらいたい。

・実は、自分も手放したくないんです。もう少し近くにおいて置きたいし、
兄貴や、姪っ子に見せたかった。動くかどうか心配で毎日たたいていた。
→もともとパソコンをやらない喜市さん。
「興味もなく価値もわからない」と言っていた喜市さんの言葉とは思えない。
この言葉は、すごく嬉しかった。幸せな気分だった。
以上。

*白神山地については、勉強不足で何も知らなかったので調べてみた。
以下のURLで分かりやすく説明されていた。
http://www.pref.aomori.jp/sirakami/index.html
白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる130,000haに及ぶ広大な山地
帯の総称です。
このうち原生的なブナ林で占められている区域16,971haが1993年12月に世界遺産とし
て登録されました。

白神山地の特徴は、人為の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最
大級の規模で分布していることにあります。

2月20日(金)晴

再契約書を渡したスタッフが出社した。
契約書は持ってこなかった。
夕方まで仕事をして逃げるように帰った。

2F本日出荷の250台が目途ついた。
と思ったら、正式な注文書が来ていないので、
今日出荷が怪しいと得意先から連絡が入った。

冗談じゃない。すぐに電話をとった。
「いいですか。担当には納期は絶対だ。
死ぬ気でやれと言って間に合わせたんです。
今日は納品しなくて良くなりました、なんて出来ません。」と。
得意先の倉庫に出荷することになった。
実際には「死ぬ気でやれ」とは言っていないが、
担当はそういう危機感をもってやっている。

午後、小野塚さんが来社された。
待ちに待った日だった。
倒産のどん底の時に他のコンサルタントがサジを投げる中、
最後の最後までアドバイスをし続けてくれた。
いつしか、忙しいところを見てもらうのが目標だった。
短時間で帰ることになってしまったが、喜んでくれただろうか。

それから、ケーヨーD2に買い物に出かけた。
昨日、周辺の駐車場探しで反応が悪かったので、
自分の敷地を最大限に活かして、
車をあと3台位止められるようにしようということになった。
明日が実行日。男5人でコンクリートとの闘いをする。
その必要部材を購入しに行った。

今日は皆、元気に楽しそうに帰って行ったように見えた。
何より嬉しい。

明日は、動くキーボード第2号に出会えるか。
今回は素材がブナで、つや消しだという。楽しみ。

2月19日(木)晴

3日間休んでいたスタッフが、今日出てきた。
何回目の無断欠勤だったろうか。事務所で話をした。
やる気はあると言う。
すでに前の責任職から降りてもらっているものの、
それにしても責任感がなさ過ぎる。

本人がやる気があると言う以上は、
どんな人であれ活躍できる場所を捜そうと思う。
職種変更による給与変更の契約書を帰りに渡して、
明日持ってくるように言った。明日どうなるか。

午前中、労務士さん来て打合せ。
種々苦労を買って出てくれて助かる。

午後は、駐車場探しに歩いて出た。
交通の便が悪いために車での出勤希望者が多いが、
どうにもスペースに限りがある。
地主さんを5件ほどまわったがダメだった。
土地、空き地はたくさんあるのになぜ。
農地になっていて、とめるわけにいかないと言う。
善意のつもりでとめさせると、役所が航空写真を持って注意をしに来るのだそうだ。

夕方、同級生の黒田が来た。
前の会社を辞めたまでは知っていたが、
まさか従業員を20名も抱える経営者になっているとは知らなかった。
なかなか熱い男になっていたし、悩めることは似ていた。
また会うことを約して帰った。

小野塚さん電話あり。明日午後に来社との話。たのしみ。

2月18日(水)晴

昨日入ったオーダー250台のリーダーが腰痛の為、欠勤。
さらにこれまで製作していた協力会社が3月までいっぱいで出来ないとのこと。
2日で250台はきついか。
昨日の内職から、100台分の前加工が上がった。
朝入荷のケーブルを待って、もう一つ内職へ出した。
「平行して動いてください。午後取りに行きますと。」
午後50本、夕方100本上がった。これには助かった。
半田などリーダーの作業は、なんとか穴を埋めて前に進んだ。
得意先は、この状況は知らない。納期は絶対。言い訳無用。

午後から面接3名。全員採用。
明日から2名来ることになった。

労務士から電話が入る。明日打合せとのこと。
今日は、私の代わりに打合せに行ってくれていた。
本当によくやってくれると思う。
この1ヶ月、環境作りに忙しくなりそうだ。

午後から1Fに行けなかったが、なかなか上がってこない。

電話が入る。別の新製品のスタート。急だが対応して欲しいと言う。
基板実装からで3月4日には出荷だと言う。
メタルマスクの作製からなのに、2週間を切っている。
これこそ世界新記録ではないか。
すぐに1社電話するが、忙しいという。
もう1社。「困ってんだから、やるしかないじゃない。」と。
データがFAXにて続々と入ってくる。
こちらからの要望もすぐにFAXした。

1F検査チームが上がってきた。
生産台数が多い上に、返品の対応で遅くなったようだ。
返品数が昨日に続いて、今月2番目に多かった。
支給された部品の不良がほとんどだが、これも言い訳か。
まずは、こちら側の検査ミスをなくした上でないと文句も言えないか。

まずは、こちら側の検査ミスをなくした上でないと文句も言えないか。

2月17日(火)晴

本日から、人が余るかと思いきや2人休みで2人遅刻になり、
結局ラインに入ることに。遅刻者とバトンタッチすると、
部材の引き取りに箱崎へ、
帰り道が異常に込んでいて帰りが夕方になってしまった。
引上げた部材の荷下ろしをやっているうちに皆、帰る時間になってしまった。
1Fの返品が多かった。やはり、人の体制の問題か。
何とか早く体制を整えたい。

2Fでは、種々問題の発生した500台の生産が夜になって終了。
明日の出荷が見えた。皆力を合わせてよくやった。

今日あたりから、求人広告の反応が出てきたのでひと安心。
明日、面接3名予定。

得意先から電話が入ったようだ。
「20日に250台の出荷できないでしょうか?」
前は50台/1日そこそこだった。今回は生産日2.5日。
担当同士で相談をして、「分かりました。」と返答したようだ。
「やってやろうじゃないの」と、顔がニヤリと見えたのは気のせいだろうか。

夜、昨日の新規の話が本決まりになりそうな旨連絡あり。

2月16日(月)晴

朝礼。協和精工谷口専務の来社の件、
そして先週末の出来事を全体で確認して、
どこまでも得意先優先のMIYOSHIスタイルを堅持することを確認。

1F検査の応援に入りながら、2Fの進み具合を確認する。
この休みの間に内職が仕上げておいてくれた前加工のお陰と、
リーダーがうまく対応してくれており、製品の上がりは、順調である。
予定通り18日夕方出荷の決断し、得意先に連絡した。ほっ。

今日から180台を200台に増産した1F200台の生産も、
6時頃までには、仕上げてくれた。

全体が落ち着きを取り戻しつつある。
午後一番で、取引先に来ていただくよう連絡した。
先日から、話がしたいとのことだったが、
伸び伸びになっていた。

ありがたいことに仕事の話である。
こちらから出掛けなければ行けないのに恐縮した。

明日は、2名の新メンバー合流である。
何とか、いい体制をつくりたい。

ところで、木製キーボード動くやつ1号の写真です。

今日もすごい金額を提示してほしいと言ってくれる人がいましたが、
何しろ、手にしたとたんに売りたくなくなってしまったのであしからず。

木製キーボード第2号(ぶな)の作製途中の写真。

私が欲しかったのですが、
残念ながら購入予定が決まってしまっています。

製作者:職人喜市さん初登場です。

2月14日(土)晴

土曜日。休みの予定者1名が出てきてくれた。何より嬉しい。

来週水曜日出荷500台製造現場から苦言の連絡が、
昨日から入っていた。
「キズの対処に困る。どうしたらいいか。」
16:05、今度は社長から電話が入った。
「不良の山になっている。これでは志気にかかわる。
現状をMIYOSHIに分かってもらいたい。」と。
「分かりました。ある程度分けておいてください。全部引き取りにいきます。」
と電話を切った。

そもそも部材の問題なので、
得意先には連絡してみたが、納期は絶対に動かせないという。
車中で善後策をスタッフと携帯にて協議しながら、
先に朝霞に急ぎの基板を取りに行った。

まずリーダー2名にこの問題の対処の仕方を投げてみた。
20分くらいして、再度電話をしてみる。さすがな答えだった。
「キズの問題なので、削ることになりますが、
程度・限度の問題があるので、それは社内でやります。
その代わり、基板の取付けを2人の内職に出して、
月曜日の朝までに仕上げてもらいます。
これで500台何とかなると思います。」と。
すぐに内職担当にお願いをしてあって、
私が会社に着く頃には、1人には仕事の説明が終わっていた。
もう1名も18:00頃には、駆けつけてくると言う。
これから引上げに行くのに早すぎるくらいだ。

男性2名を連れて、部材を引上げに行く。
着くやいなや私が仕分けの説明を聞いているうちに、
別の部材を残り2名が積み込んで、あっという間に帰ってきた。

19:00、内職2名に再度説明して、部材を渡す。
19:10、社内では、半端な部材の仕分けと前加工に入った。

協力会社に組んでもらう予定がダメになって、
わずか3時間後には、仕事の振りが終わっている。
これは、凄いことだと思う。

困難が来たときほど、得意先の立場にたって絶対に乗り越える。
いつも皆の合言葉にようになっているが、
「やってやろうじゃないの!」
むしろ皆、久々の闘志が湧いているように見える。
「私も何かやろうか?」
20:30現在。2名が残って対応している。ありがたい。

我々組立て屋の付加価値とは何か。
問題が起きたときに、こちらで対処できるかどうかだろうか。
「いいですよ。今回はうちで対応しますから。」
実は、これは言うは易く行なうは難しだ。
すぐにコストの問題に跳ね返る。
だからと言って、よっぽどでないと得意先に請求など出来ない。
部材が入らず手があく場合もそうだ。

私も1年前くらいは、こういうことで得意先とよく喧嘩した。
「冗談じゃありませんよ。計画に基いて人を用意してるんですよ!
部材の問題じゃないですか!うちの責任じゃありませんよ!」
その通りだ。でも納期は迫る。困るのはだれか。得意先だ。

こんなことを繰り返しているうちに考え方を変えた。
「やってやろうじゃないの!」
責任の所在ははっきりさせた上で、
あらゆる手を使って納期は絶対に死守する。

こちら側として、徹して誠意を尽くす。
金の問題は、そのあとだ。
得意先に誠意が見られなければ、それまでだ。

うちはそれが出来るようになった。
だからと言って、協力会社に付き合わせていいかどうかは別の問題だ。

仕事を出す側のことは、まだ分からないことが多い。
もっと配慮できるようにならなければと思う。

そう言えば、バレンタインデーだった。

2月13日(金)晴

本日は、予定通り。
とは言えここのところで約10名減している状況なので、
朝から1Fの検査へ。

この際、やっておきたいことを全部やろうと、
検査をしながら、ラインへの注意事項や、
検査の流れ、人数配分、日中の資材の動き方などなど。
相談し、指示してバンバン進めた。
普段より、順調に廻った。

昨日、無理を言って実装してもらっているところに連絡を取る。
現在100枚、午後4時には200枚になるという。ありがたい。
夕方出発して取りに行き、SOCさんへ届けた。夜になってしまった。
現場は順調で、6時くらいには全員あがれたようだ。

途中、マウスを購入。木製のマウスを喜市さんに考えてもらうためだ。

夜、派遣会社から連絡あり。
1名が明日までになりました、と。
昨日休んだ人間だ。
どうも昨日面接を受けて違うところで就職を決めたらしい。
知らない私たちは、まさに今日、
丁寧に新しい仕事を覚えてもらうために教えたところだった。
所詮派遣はこんなもの、と思うしかないのか。

埼玉a○に求人を出しているが、まったく反応なし。
まったくゼロは、初めてだ。なんでだろう。
こまった。このまま休みの多い3月に突入する訳にはいかない。

それにしても、最近の派遣会社の求人の仕方はエグイと思う。
我々の隣りに平気で、「電子機器製造ライン作業 時給¥1000~」と出ていたり
する。
よく見ないとそれが、派遣会社の求人とは分からない。
私のところが、同じ内容で隣りに¥800~(研修期間¥750)なんて出して、
見る人はどっちに行くだろうか。人が足りない。

2月12日(木)晴

今日は、2Fで約束の1000台出荷があり緊張の朝だが、
休み穴埋めで、1Fの検査に入る。

協力会社のSOC長西社長から電話が入る。
話があるという。察しはついた。
厳しい納期で、仕事を依頼しているにもかかわらず、
部材を切らしてしまい、手を遊ばせてしまった。
私が同じ目にあった時は、さんざん得意先に文句を言ったものだ。
その気持ちは、よく分かる。
工賃仕事の我々にとって、手が遊ぶのは死活問題だ。

しかし逆の立場になってみれば、こちらの苦労も分かった。
納期が厳しいために、部材が入れば、すぐに取り掛かれるように、
あらかじめ計画を立てて人の手配をしてもらっておく。
思うように入らない、思うように進まない。
そもそもその分を保証できるようなコストの設定など出来るはずもない。

来社されての話の内容を思った通りだった。
「そもそもうちみたいな小さな会社が、
協力会社を持とうとするのが誤りなのか。」などと思ってしまう。

とにかく飛んだ。
別の協力会社の下請け会社まで出来上がっている分をもらいに行って、SOCさんへ。
やはり意識の違いがあった。翌日以降の目標を決めて帰ってきた。

夜は、川越にて「ものづくり研究会」だ。
先日、引上げてきたキーボードの披露の日。
楽しみにしてくれている方もいるはずだ。

席上、初めて会った喜市さんの思いの深さと苦労話を披露させていただいた。
エンジンの内田さんがオブザーバーとして出席されていた。
売りたいと言う。藤塾長は売らないと言う。私は、手放したくない。
そんなやり取り大いに盛り上がった。
モックアップを伊藤世話人が、持っていった。
埼玉県知事に紹介するのだという。

楽しみの藤塾長のお話は、テーマ「日本スタイル」だった。
1980年代、安くていいものをつくることが日本の誇りだった。
確かに世界に誇れる技術をもったし、価格競争力もトップレベルになった。

現在、すでに安いは終わったし、
いいものといっても本当に価値のある違いが見出せなくなった。
安くていいものは、日本の誇りではなくなった。
「『日本スタイル』を見出していただきたい。」と。

あら、それを教えてくれるんじゃないんですか・・・
キーワードで「武士道」とのお言葉はあった。
きっと、きわめて精神的な部分の違いのような気がした。

帰って、喜市さんと連絡をとった。
研究会での評判を伝えたかったし、
次回の研究会に来てもらいたかった。
きっと、喜市さんのものづくりが、
その答えにヒントを与えるような気がしたからだ。

2月10日(火)晴

給料日。あたりまえとは言え、全員に期日にお支払いできることに感謝。
午前中一人一人に手渡しする。

12日出荷の1000台は、外注のSOCさんに組みたてを依頼したが、
ぎりぎりの納期に備えて人数をそろえたものの、基板の上がりが遅く、
手が空いてしまった。その対応に追われる。申し訳ない。

午後から、嬉しい人に会えた。
協和精工の谷口専務が、初めて来社してくださった。

谷口専務は、私がまだ独立を悩んでいるときに、
訪問させていただいて、非常に丁寧にアドバイスをいただいた恩人。
400名を擁する製造会社の専務だ。
あの時の「1社くらい逆流を登る会社があってもいい。」のひとことで、
この業界での独立を決意した。

その後、一度ご報告に伺って喜んで下さった。

いつも変わらない温和な笑顔で登場された。
またお会いしたいと思わせる、にじみ出る人格はいつも変わらない。

あまりの嬉しさに、矢継ぎばやに種々ご報告し、工場もご案内した。
ニコニコしながら聞いてくれた。
「佐藤社長の意気込みが会社全体にみなぎっているように感じました。」と、
身に余るお褒めの言葉と御礼のメールを頂戴したが、
谷口専務らしい謙虚なお言葉だと思った。

谷口専務からは、
労務のことを中心に種々アドバイスをいただいた。
現在私の悩んでいるようなことは全て乗り越えてこられた先輩だ。
また、遊びに来てくださいと声をかけてくださって、お帰りになった。
自然に深々と御礼をして見送った。本当に嬉しかった。

もう一人、会いたい人に会えた。喜市さんだ。
3時半頃、会社を出発して栃木県小山市へ。
木製キーボードのモックアップを作製してくれた喜市さんが、
動くもの第一号が完成したというので、今日は全てをなげうって向かった。

4ヶ月もやり取りをして、一人奮闘いただいているのに、
今まで、一度も会っていない。本当に失礼してしまった。
モックアップを手にしたときの感動を伝えたいし、
今回のものもいち早く見たかった。
今回は、ノート型の配列キーボードを檜でドレスアップする方法だった。

思いのほか順調に到着。喜市さんとの初対面が実現した。
さっそく見せていただいた。思っていた以上の出来映えで感動した。
アームレストの位置関係を喜市さんなりに苦労して考えていただいた。
接着についても別のダミーでなんども試したという。
キーは、前回同様1個1個手作りだ。
実際に使用するものなので、仕上げは何度も塗ったそうだ。

ものを見れば分かるが、ものすごい大変な作業だ。
大変なことを最後まで成し遂げておいて、尚且つ妥協しない。
喜市さんのそう言う姿勢は、会わなくても分かったし、
会って余計に感じた。だから、喜市さんが作るものなら納得できると思った。
だからといって、それを大げさに語らない。
最高の一点を追い求める喜市さんの姿勢に感銘を受けた。

今、そのキーボードで書いている。
木の感触がなんとも言えない。
本来無機質なはずのキーボードが、
こちらに向かって微笑み掛けているような感じがする。

喜市さんありがとうございました。
でも喜市さんはパソコンをやらないし、見ていない。

2月9日(月)晴

派遣予定3名のうち2名来た。
休み4名。

前々回の朝礼で、叫んでから2週間。
1Fの不良率は、激減して落ち着きをみせている。
本日の朝礼にて、グラフを元に成果を確認しあった。

午前中に数社の取引先との打合せを電話にて済ませた。
午後病院へ。
怪我をしたとのスタッフの治療費の支払いだ。
本人は労災認定しろと言う。
しかし、本人曰く誰も見ていない時の打撲で、
本人から報告もなく、休む理由もそれでなかったのに、
実はあの時怪我をしたから、労災にして休業補償しろと言う。
めちゃくちゃな話だ。

治療に2回出掛けて、1円も払わずに誓約書を交わして会社に持って来た。
会社名 ㈲MIYOSHIと書いてある。

本人が払わなければ、当然会社に問合せがくるし、
もう既に期日を過ぎていた。

労務士とも相談して、良かれと思って、わざわざ病院まで出掛けて支払いをしてき
た。
本人から電話があり、「何で労災にしなかったのか。」と。

ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。が、ぐっとこらえた。
そもそも、遅刻、急な休みも多く注意をしているときに、
今度は、怪我をでっちあげて労災にしろと言う。
2週間も大事なポジションを空けておいて、
次の木曜日には、あたり前のように出社するようだ。
こういう人間が一人いると、「外国人は・・・」などと思われてしまう。
私は、断じてそういう見方はしたくないが周りが許さない。
外国人労働者。自国のプライドをもって、しっかりやってもらいたい。

現在は、その人以外は本当によくやってくれている。
信頼できるし、責任感も人一倍ある。
どこの人であろうと、男でも、女でも差別はしていない。
働くひとを通してその国を見てしまうのは、ある意味仕方のないこと。
だからこそ我々も恥ずかしい日本人と言われないように頑張る。

2月7日(土)晴

土曜日。派遣復活の一名。
昨日1日来て、今日は出社せず。
結局夜までつかまらなかった。

ラインへ。
途中2Fから助っ人してもらって、自分は検査へ。
今週は負担掛けっぱなしだったので、
今日は、出来るだけすっきり終わりたいと思った。

休憩で2Fへ上がると1名のみ。
独立当初の会社の様相だった。

さすがに昨日求人を申し込んだ。
足りない。人が足りない。
しかし、手が余ったときが一番怖い。

この穴埋めを派遣会社で補っているが、
その派遣があてにならないのだからどうにもならない。
「もう一度だけチャンスをください。」という。
あげてしまった。月曜日にまた新人3名来たる。

昨日、銀行が来た。
父の会社の後始末の件だ。

父の会社の倒産で多くの人に迷惑を掛けた。
多くの人が痛みをともなったと思う。
が、ただ銀行だけがあの手この手を使って、
結局まったく痛まない方向に行きそうな話だ。

当時は、お世話になったこともあるだろうが、
「汚い手を使いやがって。」と思った。

2月5日(木)晴

いったい俺は何様か!

朝、電話にて退社の意向を伝えてきた人一人。
腕が痛いという。
休みは4人。
やはり予定通りに行かず、ラインに張り付く。

10日の給料日のこと、それまでの銀行とのやり取り、
損益のこと、駐車場のこと、来週出荷の製品の立ち上げのこと、
その前の基板の上がりのこと、その後の製造のこと、
スタッフの補充のこと、昨日のガラスのこと、
もう一社の製品のシールを紛失したこと、
現在の返品率のこと、ラインマンの健康状態、
明日の体制のこと、木製キーボードのことなど考える。

いてもたってもいられなくなり、いらいらがつのる。
しかし、離れられない。ラインの一人が指が痛いため今度はそこに入る。
ラインは何とかまわるが、検査がたまる。
ライン終了。
たまった検査に入る前に、
2Fで別の仕事を片付けようとするがうまくいかない。
恐らく相当不機嫌な顔になっていると思うがどうにも修正がきかない。

そこへ例の派遣会社が請求書を持ってきた。
怒りがその営業に降りかかってしまった。
「請求書の前にすることがあるだろ!」
7人来て、6人いなくなってしまったのだから、それもそうかも知れない。
が、言い方がある。その営業にあたったところで仕方がない。

俺は、何をあせっているのだろうか。
何にびくびくしているのだろうか。
もっとニコニコ笑って、
「いつもありがとう。ご苦労様。」と言えないのだろうか。
俺は、いったい何様か。

私の師匠は、いつも「人の振る舞い」について教えてくださる。
師匠自身がどんなときも、
「悩みはないか。苦労はないか。さびしくないか。病気ではないか。」
と、声をかけてくださり、激励をしてくださる。

情けない弟子だ。
帰って反省し、皆の顔を思い浮かべて、
今日一日どんな思いで仕事をしていただろうかと考えてみた。
涙の出る思いがした。
皆のひとつひとつの行動は、
なんとかいいものを、なんとか間に合うように、
なんとか楽しくできるようにと考えていたと思う。

俺は、成長しなければいけない。早急に。

2月4日(水)晴

割れた。
「今日から宜しくお願いします。」と挨拶をして15分。
バリッ!ミシミシッ!と鈍い音がした。
ガラスが割れた。フォークの扱いでパレットがあたってしまったのだ。
今日からきた派遣だが、フォークの免許を持っているとは言え、
フォークによって癖があるから練習しておいてくださいと、朝伝えたばかりだった。

このガラス。1.7m四方と大きいもので結構高いはず。

いない。
「昼は駐車場で食べます。」と言い残して45分。
帰ってこない。彼が帰ってこないのだ。
初日の失敗とあって本人に対しては、気をつかって接したつもりだったが、
いなくなってしまった。
派遣会社に伝える。
夜、申し訳なくて戻れなかったと連絡が入った。

家から連絡が入り「帰ります。」ともう一人。
昨日よりは、休みが少ないものの結局追われることになった。

人のことが一番大変だと思う。

2月3日(火)晴のち小雨

休み昨日より減って10人。

昨日の反省から朝礼の空気を変えようと努力した。
昨日は、「急な休みは困るんだよな。」との空気を引きづったままの一日だった。

今日の朝礼では、
「昨日は、11名の休みでラインを動かしました。世界新記録です。
いない人のことを云々してもしょうがない。
今日いるメンバーで、協力しあって一日何とか乗り越えようじゃないか!」

みんな頑張った。
なんといっても、資材担当がいないのはきつい。
皆、ラインが終わって自分自分で翌日の準備をする。
いつも帰るメンバーも残って準備をしてくれた。

どうもこのところ、いやなムードだったが、乗り越えた。

日中ラインに入っているために、私の仕事はたまる一方だ。
日中にしか出来ないこともある。
連日ラインに入っていて、今日はさすがに感じた。
「半年も動かしているラインに、私がじっと入っている場合ではない。
次の動きをしなければ。。」焦りが出る。

もちろんじっと入っているわけではない。
出来るだけいろんなポジションに入っては、改善を図っていく。
今日も、トルクの高いドライバーを使用する場所に入った。
ビットの磨耗のためにビスの頭をかじる現象があり、合うビットを削ってつくった。
これで次に入る人が余分な力を入れなくて済む。

休んでいる一人から、夜電話あり。
会社にて肩をぶつけて今日病院に行ったので、治療費を支払って欲しいという。
肩をぶつけたことも知らないのに、いったいどういうことか。
この対応と同時に、
一週間休んでいるスタッフから「明日から出ていいか」との連絡。断った。

買掛のまとめと請求書の確認をしているうちに深夜になってしまった。
一日が早い。こんな仕事の仕方では持たないと思う。

なんと言っても、取引先に迷惑の掛からない体制だけは整えておきたい。

2月2日(月)曇りのち雨

まわった!
11人の休みでラインがまわった。
急に休むのはいい加減にしてくれ!
との言葉を呑み込んで、皆よくやった。

本当にいい加減にして欲しい。
人材派遣会社だ。
現在2社と契約。
特に1社にいたっては昨年末からの契約で、
7人来て6人やめた。というより行方不明になった。
どういう訳か、いなくなるのだ。
「すみません。連絡が取れないんです。」
教えるだけ、教えていなくなるんではお金をもらいたいくらいだ。

2月1日(日)晴

午後誰もいない会社へ。
先月のタイムカードの締めと今月の準備をする。
月末締めの請求書も行う予定が間に合わなかった。

タイムカードの締めでは、一人ごとの評価を確認していき、昇給を決めていく。
品質・スピード・多能性・責任感・協調性の5項目について、
ゼロ点・1点・2点のどれかをつけて合計10点満点。
これは作業者の評価。
リーダーについては、これ以外にリーダーシップや効率意識、渉外力が問われる。

皆一生懸命やっているし、若輩の私が評価など傲慢に聞こえる。
しかし、そんな自分だからこそ、どうやって客観評価を出来るかが大事だと思った。
だから、この評価方法で点数をつけた上で、相対的なバランスを取る。
仕事量に対して時給の少ない人を昇給する。
その上で総額が、売上に対して、
もっと言えば「売掛-買掛」に対してバランスが取れているかを見ていく。
ただし、労使については、実はまだまだ宿題・課題が山積している。
コストのかかるものがほとんどで、考えていかねばならない。

1月31日現在、
パート・アルバイト32名、派遣社員6名、役員2名で総勢40名になった。
今日2月1日は、独立記念日。
平成14年のこの日に独立をして昨日で満2年になった。
13年8月の悔しい思いを共有した、いとこと私。
独立当初のこの2名からは、今の規模は誰も想像できなかった。
その後、当時のメンバーが数名合流して今の核をつくってきた。
本当に感謝している。
どの創業者もそうであるように、必死でやってきた。

「創業は易く 守勢は難し」
人生の師匠に教えていただいた言葉だ。

30年続く企業は1%に満たないという。
MIYOSHIもいつまで続くかなんて分からない。
この2年間は、たしかに突っ走って来た。
これからは、労使や財務の問題など簡単にいかないだろうと思う。
だからといって、じっと構えて守りに転じるつもりはない。