HIDEYOSHI DIARY

MIYOSHI代表、佐藤英吉の周りで巻き起こる日々の出来事から、
ちょっとした気付きや、深い学び、そして、驚きWOW!
そんな奮闘ぶりを20年間、ヒデヨシ日記に書き残しています。
「今日の学び」を常に己に言い聞かせ、人間革命していくために。

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2003年12月の日記

12月26日(金)曇

「うちはそば屋の出前じゃねえんだ!」
きびしい納期を迫られたときにメーカーが愚痴るときにつかうフレーズ。

今日は、限られたメンバーで本年最後の仕事を行っていた。
11:15に電話が入る。「急ですが今日、500台の出荷が出来ないでしょうか?」
「5分待ってください。」うちのリーダーの言葉。
「分かりました。○○と△△だけすぐにください。あとは、何とかします。」
梱包に使用する○○と△△は、バイク便でこちらに向かうことになった。
「何人か手伝いに向かわせましょうか?」と得意先に言わせるほど無謀な注文を、
さすがはMIYOSHIのリーダー、受けてしまった。
他の作業を中断して、全員ですぐに取り組む。

バイク便の到着は、4時半。時間との闘い。

私は、お客様との約束があったので会社をあとにしたが、
500台50箱の出荷を19:30分無事終了との報告。お見事!
「うちはそば屋の出前だ!」

12月25日(木)晴

今日は、朝から10時半までラインに入る。
すぐに、川越の法務局へ。
海外からの従業員が、入国管理局に提出するための謄本をとる。

1社挨拶に都内へ。
思えば、この1社のおかげで独立を果たし、
ここまで来れた。感謝。

明日、1Fのラインが止まる為にほとんどのメンバーが、
本年最後になるので、一人一人と挨拶するために4時半に戻った。

皆、年明けスタートの為に治具の清掃や整理をしていた。
本当にいいメンバーに恵まれたと思う。

12月24日(水)晴

事故渋滞あり、送迎部隊が9時の到着できず。
20分くらいロスして、何とか1Fラインスタート。

2Fは、前に出荷した製品のリコール対応。
なか1日の本日夕方には、100台の出荷。
こういう時こそ、得意先の力になりたいと、
昨日(祝日)も出勤してラインを動かした。

午前中に、夕方出荷の見とおしがついたので、
協力会社の年末のご挨拶に出かける。

何の実績もない私を信頼して仕事をさせてくれた上に、
無理な条件も聞いてくれた命の恩人社長。

本年からの取引。社長率先垂範のお手本の社長。

私に、人脈拡大のきっかけをつくっていただいた部長。

私を何社にも紹介してくれ、何の相談にものってくれる社長。

無理な納期を全て引き受けてくれた社長。

5社の方にお会いして、本年の感謝の意をお伝えした。
どなたとの出会いがかけても、今の会社や自分はなかったと思う。
感謝してもしきれない。

12月18日(木)晴

急休み1名
本日発売の月刊アスキー200ページに檜キーボードの掲載。
思いのほか、大きな紙面でビックリした。

いかにも、MIYOSHIがつくったような紙面だが、
ここに出てくる家具職人ことKIICHIさんが、孤軍奮闘してここまで仕上げた。
開封して、最初に見たときの感動たるや凄いものだった。
すぐに電話で、20分はその思いを伝えただろうか。。

もうひとつは埼玉の
「売れるものつくりをめざすマーケティング研究会」。
藤塾長、伊藤世話人ほか、誠実に運営をしていただいている、
役員の方々には、本当に感謝している。

ものづくりの中でぶち当たる壁や葛藤に、
この研究会で得た智慧や人脈がどれほど力になったか。。
そもそもこのキーボードの作製は、この研究会で提案して、
後に引けなくなって作製したもの。
メンバーからもいろんな情報をいただきながら、ここまでこれた。
この手にした感動を味わえたのは、皆様のお陰と感謝したい。

12月17日(水)曇

比較的休み少なくほっとする。
1Fの朝礼にて、「思いやりに支えられている我社の状況を確認。
もし限界がきたら、ルールで縛った会社にしなければならない。」と申し上げた。

こんな話をしたのも、
昨日の終了間際に、もめごとが起きたのがきっかけ。
ある人が、ある人に仕事のお願いをしたが、言い方が悪かったようだ。
フィリピン人、パキスタン人、アメリカ人、東京人、関西人と
多くの人種が集まって仕事をしているので、
問題がおこらない方が不思議かもしれない。
でも、これまで不思議なくらいうまくやってこれた。

どこ人であろうと関係ない。
MIYOSHIにいる時は、同じ地球市民として、
お互いの文化、宗教、習慣を尊重していきながら、
仕事は、世界共通の「思いやり」をもって接していく。
こんなやり方でずっといけるだろうか。

12月16日(火)晴

午前中、新しい取引先に訪問。その会社の部長の方が、名刺を見るなり「おもしろいね。名刺からやる気が伝わってくるね。」と。うれしかった。名刺には、取締役社長のあとに”すぐやる課課長”と書いてあり、携帯番号の後には、24時間営業と刷ってあるのをご覧になってかと思う。独立して、三和電化さんや佐々木電材さんなど、私のまわりの先輩社長はフットワークよく対応されているのを見て、私も見習おうと思い名刺に刻んでみたものの、最初は「ふざけるな!」などと言われはしないかと思っていた。私の高校時代は行事があると、必ず「すぐやる課」という部署を設けた。当日の緊急対応を喜んで引き受ける。(なぜか伝統的にサッカー部だった。)当時を思い出して、すぐやる課課長と刷ってみた。 同じ思いで、一番大変なところに飛び込む先輩社長を見習ってやってみようと思う。その部長、他の方も引きつれて、工場を見てくれることになった。

12月15日(月)晴

先日金曜日にささやかな忘年会を開催した。昨年は極少数のメンバーで、毎日納期に追われて気がつくと年が明けていたが、忘年会を行うことが出来たばかりでなく、21名も参加してくれた。当時の礎を築いてくれたメンバーや、協力会社に感謝。当日は、口々に「仕事するのが楽しい。」とも言ってくれて、得意先に「もっと仕事をよこしなさい」と詰め寄るありさまだった。「本当にいいメンバーに恵まれました。大好きなみんなとずっと仕事できるように、私ももっと営業頑張ります!」と申し上げた。中2日の再会で、皆元気に出社してくれた。本当に嬉しいし、楽しい。どうか皆が、いつまでも楽しく仕事できる環境をつくってあげたいと思う。いつも、気にしているのは皆が帰るときの顔色。どんな顔で帰っていくのかが、いつも気がかり。
毎週月曜日は、全体朝礼。今週の予定を確認して仕事スタート。直後に明日からの仕事が、別の問題でペンディングになった。約5名の手が空かないようにあわてて対処。人が足りなくて納期で迷惑をかけることが一番怖いが、次に怖いのが、手が遊ぶこと。なにせ、速い・安い・美味いで勝負しているときに、それは命とり。しかし、何があっても、にこっと笑ってすっきり対処できるようになるまでには、まだ10年くらいかかるだろうか。

12月14日(日)晴

こんにちは!このたび、私の同窓生小島氏や小林氏のお力を頂戴してHPをリニューアルオープンすることが出来ました。すばやい対応に感謝しております。見ていただく方にとってどんなものかは分かりませんが、私は大変に気に入っております。その中でも、どうしてもやりたいコーナーがこの「ヒデヨシ日記」でした。
現在、下請けの製造業として短納期とコストとのせめぎあいを繰り返す中で、おもしろいエピソードが毎日生まれます。新しい取組みも楽しみながら挑戦中です。そんな日々をどなたかと共有できたらとも思うからです。
もう一つは、一昨年8月父の会社が事実上の倒産をして、あえて同じ業界で再起をかけて立ちあがってきました。大勢の方々にお世話になってここまで来れましたが、この2年間もなんらかの形で残しておきたいとも思うからです。
なにせずぼらな私ですので、いつまで続くかも分かりませんが気の赴くままにアップさせていただきます。
今後とも、どうか宜しくお願いいたします。