MIYOSHI

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HIDEYOSHI DIARY

埼玉の電子機器組立及び製造工場、オリジナル防犯監視カメラや電気自動車製作のMIYOSHI社長、佐藤英吉の日記を掲載させて頂きます!

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2004年4月の日記

4月30日(金)晴れ

1Fは大型連休に入ったが、2Fは出勤。
私の出る幕もなく、フォークリフトの移動くらいか。
朝から、得意先に出かける。話があるとのことだった。
伺ってみれば、
「うちの将来は、MIYOSHIさんにかかってます。」
と、これまでの仕事をさらにボリュームアップして、
高い技術を要求される部分を出したい。とのことだった。
戸惑った。
これまで、何度も申し上げてきた。
「うちは、何の技術もありません。気力と体力で勝負です。」
「とにかく早くお願い。いいから安くして。」
こういう要望には、どしどし応じてきた。
そういうことが出来る体質になっている。
しかし、
「少々高くていいから、他に出来ないものやって。」
とか、「5年10年のスパンだからね。」
と言われると、これまでのMIYOSHIスタイルを基本から見つめなおさなければいけない。
そもそもロットなんてすぐに移り変わる。
安くなけりゃ土俵にも上がれない。
そんな環境に対応できるようにつくったMIYOSHI。
今度はじっくり5年先、10年先を見つめて、
地に足のついたものづくりをしてほしいと。
何をもってそこまで信頼していただけるのか分からないが、
大変に光栄なことである。
帰って、リーダー2名と相談をする。
確かに、そういう時期に来ていることを感ずる。
3本目の柱になりうるかどうかは分からないが、
MIYOSHIとして、大切は柱になることは間違いない。

4月28日(水)晴れ

前略 父上どの

今日は、あなたの命日です。
生まれて初めて、父に手紙を書きます。
早いもので、あっという間に一年がたってしまいました。
父は、もうどこかで生まれ変わって、さっそくコツコツと、
ブロック遊びでもしていることかと思います。
まだ、ブロック遊びまではいかないか。
「もう少しいい飲み方はないのか」
とミルクの飲み方を工夫しているころでしょうか。

そう、コツコツの人でした。
誰よりも、ものづくりが好きで、
いつも背中を丸めながら、何かに没頭してました。
いつしか会社も大きくなり、そんなことばかりもしていられなくなりました。
それでも、何か新しいものの始まりの時は、
わざわざ徹夜をして、試作、段取りをしました。
会社では、絶対の信頼で何でも出来る人でしたが、
麦わら帽なんかかぶって、外の草刈りなんかしてました。
「社長さんいますか?」なんてよく聞かれてました。

本当は、金のことなんか考えたくなかったんだと思います。
ずっとものづくりが出来れば、それで幸せだったんです。
売上げも3億を超すと、ただの技術者ではいられなくなりました。

私が合流して9年。言いたいこともたくさんあったでしょうが、
何でも好きなようにやらせてくれました。
おかげでたくさん失敗もしました。
全部分かっていたんだと思います。
私は、めったに謝りませんでした。
父には、何でもぶつけていつも喧嘩をしてました。

合流したから、いけなかったんでしょうか?
3年もすると経理以外のことは、全部私に任せました。
とやかく言われるのが嫌いな私を察してか、
ほとんど会社にいないようになりました。

人とものを大事にする人でした。
会社に出ないで、会社のことばかり考えていたことと思います。
よかれと思って、土地を買い工場をつくりました。
よかれと思って、人に仕事を出しました。
よかれと思って、得意先に迷惑をかけないために、友人の会社の手助けをしました。

平成13年8月耳を疑う話が、父を襲いました。
これまで30年、一社下請けで20年間尽くしに尽くしぬいてきた得意先から、
突然呼び出されました。

会社の経営状況はどうなっているのか。
その後、何回も呼び出されては得意先の役員7名に囲まれて、
尋問を受けました。
過去のことも、話が捻じ曲げられ、父が悪者扱いされていきました。
徐々に協力会社は離れ、陰口をたたかれました。
> 途中出てくる話から、誰かが影で動いていることは察しがつきました。
あるとき、こんな提案がなされました。
「英吉さんと従業員だけください。社長はいりません。」
聞いたときの父の後姿、寂しそうでした。
「そうしてくれ。」と、父の口から出ました。
会社はだめでも、従業員は救ってやりたい。
そんな父の思いだったと思います。
私は一旦返事をしました。「よろしくお願いします。」

悩みました。

次の呼び出しの時でした。
私を中心とした工場新体制の打ち合わせの予定でした。
「やっぱりできません。いくら会社のため従業員のためといっても、
この親父を見殺しにする訳にはいきません。
本当にすみません。私にはできません。」
深く頭を下げてお詫びをしました。
こんなときの父の気持ちなんて想像もつきません。
父以外はこれまでの給与も保障するとまで言われていたのに、
バカだと言われました。その後しばらく、罵倒を受けました。

その後、何回呼び出されたでしょうか?
行くたびに、役員に囲まれて罵倒の雨でした。

平成13年9月4日火曜日
呼び出された役員室で、得意先社長からの話しでした。
「仕事は今月20日までにして下さい。」
それだけ言い残して、社長は去っていきました。
父と私は、「お世話になりました。」と、
役員室を後にしました。二人とも涙が止まりませんでした。
20年間の幕を閉じたときでした。

それから、経済的にはどん底の日々でしたが、
私は、一点の悔いもありません。
あの時の選択は間違ってませんでした。
危うく、父の不幸の上に自分の幸福を築くところでした。

以下当時の日記です。

9/28(金)
朝、親父の行方が分からない。
ここ数日の親父に対する態度を後悔する。
2時間ほどして帰宅したとの連絡。
心配で会いに行く。
横になっていた親父が、
正座をして、両手をついて、
「申し訳ない。」と何度も言い、涙する。
。。。。。。。。。。
親父の肩を初めて抱く。
親父のその姿、脳裏に焼きつき離れない。

9/30(日)
午前、一人三芳工場へ撤収の作業に。
午後親父、母と3人で債権者宅へ。
何とか理解もらう。
「人と話して元気がでた。」
と、親父やっと食事をとる。

10/3(水)
会社の移転作業大詰め。
看板も下ろし、事務所もきれいになった。
従業員の解雇まであと2日。
この方々の幸せを祈りつづけられる自分に。

今、どこかで私たちを眺めながら、どんなふうに思っているでしょうか?

三芳工場で、「再建する。」とずっと工場で掃除をしてました。
ある日は、1Fの便器をピカピカに磨いて嬉しそうでした。
ある日は、「ここにずっといたって仕事なんか来ないよ!」
と言う私の言葉を、じっと聴いてました。

平成14年2月。再建が始まりました。
毎日段取りしては、ライン組みをしてました。
次の日の準備は、夜にやりました。父のやり方です。
久々の仕事で楽しそうでもありましたが、
ここで無理をしたのかも知れません。
仕事の合間に、ソファーに倒れこむようにして休んでました。
このときにこそ、私はなぜいたわってあげられなかったのでしょうか。

平成14年10月に癌の疑い、

平成14年12月に一時入院。

この12月、父が入院すること決まっていながら、
いっしょに営業に歩きました。
12月は、父がいないことを分かっていながら、
無謀にも大きな仕事を受けました。
父も無謀だと思ったに違いありません。
でも、何も言わずに見守ってくれました。
父は、どんな気持ちだったでしょうか。

毎日深夜に及ぶ仕事の毎日で、
病院へはほとんどいけませんでした。

平成15年2月。

12月の仕事を評価してくれ、
さらに大きなプロジェクトになりました。
この仕事のラインを父が作りました。
それから4月まで一気に走りぬきました。
MIYOSHI始まって以来の売上げを達成しました。
父は、体を動かしているほうがいいと言いながら、
いつしか無理を重ねてしまいました。
私は、どうしていたわってあげられなかったのでしょうか。

父は、病床で会社の発展の報告を楽しみにしてました。
父は従業員14名まで報告を聞いてくれました。

平成15年4月28日。63歳。旅立ちました。
500名にもなろうとする葬儀の参列者の方々に、

父の人生勝利宣言をさせていただきました。
何があっても、倒れない。くじけない。前へ進み続ける。コツコツと。
事実として、それを見事に実証しました。
そして、「残された私たちの生き様が父の成仏の証です」と誓った通り、
MIYOSHIは見事に大成長し、30名、1000万の会社になりました。

父は、大変な財産を残して下さいました。
「何があっても、倒れない。」
その後姿こそ、私に残してくださった、かけがえのない財産です。
本当にありがとうございました。

これからも、
佐藤新吉の息子として、恥じない人生を生きて参ります。
またどこかで、いっしょに仕事をしましょう。
その日を楽しみにしております。

平成16年4月28日 佐藤 英吉

4月27日(火)嵐

今日は、不気味な天気。
風が強い。強い雨になったり、やんだり。
風は吹きっぱなし。嵐だ。

今日は、ちょっと緊張。
得意先の棚卸しの監査に5人来られるとのこと。
もともとあった別の来社約束が午後。

と思ったら、最初のお客さんは面接だった。
フィリピン人3人面接することになった。
まず外国人登録証のチェックを行い、
日本での仕事が可能かどうかを確認する。
その次に、職務経験、言葉、生活環境、性格等々。
1人採用決定。2人は保留になった。
うちは、外国人比率が高い。なぜか。
外国人も当然、同じ条件で雇用している。
頑張って残るのが、辞めないのが外国人なのだ。
ハングリーだし、ガッツがある。
新しく入る日本人は外国人に教わることになる。

最近の1Fのラインオーダーを国籍でいくと、
フィリピン、パキスタン、日本、アメリカ、日本、中国、
フィリピン、日本、フィリピン、フィリピン、フィリピン
となっている。これでもメイド・イン・ジャパンだろうか。

次なる方は、ブナのキーボードを届けに来てくれた。
毎日新聞の取材から、ブナがやっと帰ってきた。

午前中に到着のはずの得意先が午後になった。
完全にバッティングした。
おまけに、風邪薬を飲んでたりしてボーッとしていた。
先に到着した小野塚さん、松島さんとしっかり話をした。
今後の半年、1年の大事な時期を具体的なアドバイスをもらいつつ進んでいく必要がある。いつも的確である。終わって外で見送った。

お待たせした得意先に会社内を案内する。
そして、棚卸しの監査。
「本当にあってる?」と疑われて、合ってることを立証するのだから、
本当に骨が折れた。夕方4時半終了。外でお見送りした。やはり嵐だった。

今日一日11人のお客さんと対話しながら、
電話にて種々打ち合わせをした。

あー疲れた。

え?FAXにて急玉。今日出荷してくれと。
夕方の6時を過ぎている。
間に合った。夜、7時半出荷完了。

あー。

4月26日(月)晴

はい、今日は朝礼1階でやりま~す!
はい、シャッター下ろしてくださ~い!
はい、並んで並んで~!
はい、運転手さんカメラお願いね~!
カシャッ!!
はい、朝礼終わりま~す!

4月25日(日)晴

ちょっと、風が強い日だ。
今日は、ついに看板取り付けの日。
中のロゴは、小島氏が作成してくれた。
組みたて屋とURLの字体は自分で決めた。
URLのドメインの取得も自分でやってみた。
周りのボルトは、私の案を看板屋さんが描いてくれた。
結果的に名刺に刷っている形を看板にしてみた。
バケット車に載って、看板がやってきた。
思い通りの出来だった。満足だ。

通り沿いの看板。
これまで小さくて目立たなくて、
トラックの運ちゃんから何度もクレームを貰っていた。
探しながら何台のトラックが通りすぎたことか。
今回のは、バッチし目立つ。
ついでにステッカーも作った。
車などいろいろ貼ってみようと思う。

シャッターのペイント。
小島氏からの提案、シャッター営業だ。
ただURLを黒で描いてみた。
夜は、ライトアップする予定。
このシャッターの横には、「従業員募集」の看板を出そうと思う。
今回、新聞折込を出したがまったく反応がなかったからだ。

4月28日、5月3日の新聞広告もこの看板データを、
そのまま使用してもらった。楽しみ。。。

4月23日(金)晴れ

気持ちのいい日だった。

昨日から合流の2名が予定通り今日も来てくれ、
1名は完全に独立して1セクションをこなす。
もう一人も午前中にはマスターして、
午後には違うセクションに研修に入った。

私も午後からはラインに合流したが、
暑い中でも、いい風が工場内に入ってきて、
なんとも気持ちのいい感じだった。
こんな環境で仕事できることに感謝する。

細かいことを言えばいろいろある。
でも仕事をさせてもらえることがありがたい。
みな楽しそうにしているし、
活気にあふれている。

あいかわらず、人手は足りないが、
それぞれカバーしながらやってくれている。
出来ることなら、このメンバーとずっと仕事したいと思う。

明日の体制をつくろうとするが、
うまくいかない。
しばらくの間土曜日のラインを止めていたのだから、
仕方がない。
明日は、2F棚卸。
だからと言って、2Fの出荷を落とすわけにいかない。

「よからんは不思議、悪からんは一定と思え。」
悪くてあたりまえ、よくて不思議と思いなさい。と。
今日のような日、ありがたいことだ。

4月22日(木)晴れ

急休みゼロ。
今日も、30℃近くの厚さ。史上最高だそうだ。
今日は、さすがに冷房を入れての作業になった。
今日から、派遣2名合流。
ラインの中で、サポートの薄いセクションに研修に入った。
営業は、「3日以内で辞めたら、支払わなくていいです!」
と言ってのけた。
そうだ、そういう心意気でいてもらいたい。
若いからか、やる気のなせる技か、なかなか覚えは早かった。

私は、朝から部材を取りに箱崎へ出掛けた。
午前中とは言え、かなり込んでいて昼近くの着になってしまった。
ハイエース1tロング(ジャストロー)に、5パレット分目一杯積んだ。

帰りに新宿に立ち寄りをして、3時半頃帰社。

2Fでは、明日から始まる仕事のために得意先から2名来社されていた。
仕事の立ち上げに、自分が立ち会わなくて良くなったのはごく最近だが、
それだけ力がついてきた証拠だと思う。
丁重に挨拶をして、私は別の本日出荷の梱包に入った。

大箱53箱の出荷。
得意先の視線を背中に感じながら、
梱包出荷作業をこなしていった。

その得意先、しばらく止まっていた為に非常に恐縮していたのだが、
その間、どんな風に乗り切ってきたのだろうかと興味があったと思う。

仕事が止まって、いちいち騒いでいたのでは、今の時代やっていけない。
MIYOSHI始まって以来一番大事にしてきたこと。
それは、1社とだけの取引きはしない。少なくとも2社。
出来れば3社以上の仕事が動いている状況を作り出さねば、黄色信号と考えてきた。

今月は売上の大小はあっても、6社の仕事をした。
これは、昨年11月以来のこと。
一度仕事をさせていただいて、またお願いされることほど嬉しいことはない。
小さな売上も大事にしたい。

夜、この土曜日に行なう棚卸の打合せをした。

そういえば、今朝ラジオで聞いた話。
これからの時代は、デマンド サイド エコノミyつまり、
消費者側論理の経済になるのではないか。
これまでは、サプライ サイド エコノミyつまり、
供給者側論理の経済だった。と。

4月21日(水)晴れ

急休みなし。
昨日の強風で社内が埃っぽい。

午前中、4.28と5.3の新聞広告の打合せ。

朝は、予定通りスタート。
今日は、いい感じかあ。
なんて思っていると、だいたいそうはいかない。

午後、出掛けていると電話が入る。
「トラックから台車が落ちた。」と。
今週から、来ている新しいトラックは、パワーリフト付き。
これまでは、ウィングのトラックにフォークリフトで乗せていた。
これはいい。と思っていたのに。。。

リフトを上げた状態で、キャスターをトラックから降ろす際に、
風なのか、引っかかったのか、キャスターごと倒れて落ちてしまった。
壊れた製品8台。キャスターもゆがんだ。

出先からすぐに戻った。
けが人が出なくてよかった。
出先から、すぐに得意先に報告。
帰って状況を掌握して、また報告。

うちのミスで無いとは言え、
この8台はバラして組み直さねばならない。
こういうときに、「どっちの責任だ!」と、
騒いでいたのが、これまでの自分だった。

あとの問題があるので、責任の所在ははっきりさせた上で、
「じゃあ、組みなおしておきますよ。」と告げた。
運転手と仲良く仕事することは、
コストどうのこうのなんて前に大事なことだし、
大騒ぎして、次に気持ちよく仕事が運んだためしがない。

ただ、このバラスという作業。
組んだ作業者にとっては、何とも言えない気持ちなのだ。
本当に申し訳ないと思い。いつもよりも、5センチ深く頭を下げた。

4月20日(火)晴れ 最高気温30℃


大変に申し訳ありません!!!!

昨日、無断欠勤と思われた人物より指摘がありました。
先週の金曜日に私あてに、連絡をしていたとのこと。
言われてみれば、なんとなく思い出してきた。
ああ、すみません。本当にすみません。
一人一人のことをもっと考えていれば、
こんなことにはならないと思うと大反省である。

先週の土曜日も約束を忘れていて、
先輩に大迷惑をかけてしまった。

「忙しいとは、心を亡くすと書く」なんて、
昔よく説教されたが、心を亡くしてはいけない。

今、向かおうとしている方向は、
心を大事に、魂を込めてなんてことなのに。反省。

午前中納品、午後打合せ。
と思ったら毎日新聞から取材の電話が入る。
つい熱く語ってしまう。あっという間の30分。
福利厚生環境の打合せ。
そのあと買い物、出荷手伝い、夕方面接。
従業員の送り、20日締めの伝票整理。
1日が終わる。早い。

この土日に看板完成という、楽しみ。
シャッター営業もGWに間に合った。

4月19日(月)晴れ

予定休み2名。急休み1名。無断欠勤1名。

朝礼にて、16日の日記の内容を話す。

私もラインに入った。

無断欠勤。いったいどういうことか。
前にこういう事があった場合には、
「今度こういうことがあったら辞めてください。」
と確認した。

給与をもらえないリスクを払って休むのだから、
計画的な休みはいい。
でも、急な休みは計画が崩れるので避けてほしい。
それでも、急病や急用もありうるので仕方ないとも思う。
しかし、無断欠勤はないだろう。
どんな事情があっても、無断で休むことほど、
自分の無責任さを露呈する技はないと思っている。

そういえば、今日面接の予定をしていた男性33歳も、
なんの連絡もなく来なかった。
こんなことは日常茶飯事なので、もうおどろかなくなった。
ただ言いたい。若いのしっかりしろ!
(若くないのも多いが。。。)
自分から電話かけてきて面接の予約をしておいて、
何にも連絡せずにキャンセルはないだろう。
おじさんは怒ってるぞ!
このために、出掛ける予定を入れずに、会社にいなければならない

この際、派遣に頼るべきか。
確かに、採用にかかる見えるコスト、
見えないコストを計算すると派遣もありかなあ。

昨日出したチラシの反応が悪い。
いつもだと、5~6人くらいは電話が入るが。。。
時期か、内容か。

派遣屋さんは反応があったらしい。
やはり頼るしかないか。
いずれにしても今週後半からは、
体制を拡大しなければ追いつかない。

派遣会社とは、2社お付き合いしているが、
本人が読んでいるから書くわけではないが、
1社の派遣の営業平井氏は、なかなか素晴らしい。

派遣会社は、人材を売りものにするが、
人材そのものを期待する会社は、もう皆無に等しい。
「しっかり研修して、訓練された人間です。」
なんて人が来ることは期待していない。
むしろ、営業の対応力だと思う。

早いかどうか、誠実かどうか。
派遣の営業ほど割りに合わないものもないと思うが、
彼はよくやっている。
「足りなければ、自分が来ます。」と。
こういう気合でやってくれれば、またお願いしたくなる。
16日の日記のように、
人間という一番神経を使う業務の部分だけを切り抜いて売り上げるのだから、
こんなに大変なことはない。
業務連絡、平井さん早急に2名はお願いします。
あとはじっくりでもいいです。

4月16日(金)晴れ

電話、電話、電話。急休み4名。
今日から、2Fの生産リズムをアップされる計画だったので、
2Fを計画通りにするために私が1Fのラインに入った。

5分休憩のたびに2Fへ上がって、FAXに対応した。
昨日のこともあって求人広告を出すやり取りがあった。

ラインが終わってからは、数人と一対一で語り合った。
種々問題もあるが、語り合うことで半分は解決しただろうか。

この数日間、ずっと考えてきた。
フェアとは何か。

給与については、4月1日付けの日記のように判断基準をはっきりさせて、
やって来た。それでもフェアと言えるかどうかは分からない。
まして今後、業務自体が多様化すれば本当のフェアなど実現するだろうか。
多くの会社が年俸制などを導入しようして能力主義を実現しようとしているが、
うまくいっている話はあまり聞かない。
長い間年功序列できた、日本の歴史にそぐわない部分があるのかも知れない。
だからといって、そのままでいい訳がない。

先日、海外の友を大勢もつ友人から聞いた話。
欧米の人は、日本に来てまず驚くことがあると。
それは、初めて会う人にまず礼をして尊敬の姿勢を示すという点。
欧米では、ます相手が自分より強いか弱いかを見るという。
狩猟文化と農耕文化の違いだろうか。
弱肉強食の世界で慣れてきた欧米と、
こつこつ耕して大地と対話してきた日本とでは同じ制度が通用する訳がないか。

それにしても、それ以外の人事労務については本当に骨が折れる。
「物」は、昨日置いたものは、次の日の朝もそこにある。
「お金」も、昨日の預金は次の日の朝もあるはず。
仕事の入金ほとんどは、保障されている。
それでも、悩みは尽きない。
私の周りの社長も、夜にガバッと起き上がったり、
背筋の特殊な痛みを経験している。
しかし、「人」は、昨日大丈夫だと思ったことが、翌朝大丈夫じゃなくなっている。
昨日約束したことが、今日守られない。「人」の問題は、一番疲れる。
そもそも争いごとが苦手な私は、そういうことが苦手なのだろうか。
1秒たりとも油断できない。人のことをとやかく言う話が耳に入れば、
なんとも言えない脱力感に苛まれる。
でも、逆もある。

あの人のおかげでこうなった。この人のおかげで助かった。
こういう話は、なんとも言えない幸福感に満ち溢れる。
ちょっとした笑顔で救われることもある。

「人の前に灯りをともせば、我が前 明らかなるが如し。」
人の前を灯すと、自分の前も明るくなるようなものである。と。

うちは、これでいきたい。こうすればあの人が喜ぶ、
ああすればこの人が助かる。そういうことの積み重ねで、
お客様にも、従業員にも、協力会社にも喜んでいただくことが、
自分の喜びになっている。そんな会社にしたいと思う。

4月15日(木)晴れ

朝、「話があります。」と一人から呼び止められた。
「今日で辞めます。」という。

理由は3つ。
一つは、昔からいる私が優遇されない。
一つは、残業も内職もしたかったのにさせてもらえなかった。
一つは、車で来たかったのに実現しなかった。
この話は、先週末に聞いていた。
私が、納得したものは、反省してすぐに改善に取り組んだ。

●一つめは、相対的な問題。
長期間いる人と、来たばかりの人。どちらを優遇するのか。
通常、長くいる人ほどわがままが通り、特典があり、特権がる。

うちは逆だ。長くいる人ほど新しい人のサポートをして、
何でも言うことを聞いて、ごみ捨てもして、小間使いになる。
私はその先頭に立っていなければいけないと思っている。
だから名刺にも、「すぐやる課課長」なのだ。
言わば逆ピラミッド組織。古い人ほど縁の下の力持ちということ。
じゃあ、新しい人ほど優遇するのかというと、そうではない。
上記のようなことができる人を、うちの大事なスキルと捉えて昇給する。
まったくフラットな組織。誰も優遇しないし、全員優遇する。
特別なスキルを求めない、うちの特異な部分かもしれない。
それはずっと言い続けて来たが、どうにも理解されにくい。
「私は先輩なのに。ずっといるのに。」その通り。
問題は、ずっといたことで何が変わったかだ。
変わったことを評価するのであって、ずっといること自体を評価しない。
うちの長い人は、本当によくやって来たと思う。
スピードが苦手でもがんばったし、手先が器用でなくても努力した。
創業2代目の一番古くて、年上の人が外でダンボールの片付けしている。
何でも「はい。」を言って、こなしていく。偉いと思う。私も見習いたい。

●二つ目は、私は聞いていなかった。
先日(4月1日)の日記で記載し、発表しように、
残業してもらう人の人物像は話してある。
その上で、一番大事なのは残業したいかどうかだ。
残業したい人は、私に言ってください。と何度も言ってきた。
が、控えめなその人は遠まわしに周辺に言ってきただけだけで、
私には言わなかったという。一点は反省した。
声の大きい人に仕事が集中して、小さい人が取り残されることいいとは言えない。
しかし、半分はそれも仕方がないとも思う。
問題は、その声が本物かどうか。
表現がうまくて、声が大きい人が出世するのは世の常。
私も丸井の本社勤め時代に見てきた。
これは、大事な能力だと思った。
その上で、それが中身をともなっているかどうかを見抜く力を、
聞くほうが持たねばならない。

先週そのことを聞いたので、すぐに対応した。

●3つ目は、駐車場の問題だ。
2月21日の日記にあるように、少しでも多くの人が車でこられるようにと、
男どもが土曜日に出社して駐車場をつくった。
皆喜んでくれると思った。とんでもなかった。
「私は、前から待っているのに止められなかった。」というのだ。
たしかに、長く待っているかどうかよりも、
内職をしている人や、バス通勤している人などを優先しているうちに、
駐車場は埋まってしまった。配慮が足りなかったと反省している。
それで、くじ引きをした。あらゆる理由を考えても一長一短がある。
ならば、新しい人も長い人もひっくるめて、くじにすればフェアだと思った。
その上で実現しなかった。気にいらなかったようだ。

「私は、前からいるのに。」
私は、はっきりと言った。
「昔からいる人が、特権が得られるような組織は、私は大嫌いです。
長くいるかどうかよりも、その人が現在輪切りにしたときに何が出来るかどうかで、
判断してます。やる気がある人は、長くいる人ほどスキルアップしているはず。」

その人は、お昼に帰ってしまった。
人が辞めるというのはどんな理由であっても、いやなものだ。

4月14日(水)曇りのち雨

朝、埼玉県の道路環境整備課とかいうところへ電話をする。
先日、会社前の歩道が陥没していて、下の水路が見えるくらいになっていた。
危ないので、いつも来社される議員を通じて、町役場に連絡。
町役場は、県の管轄ですので、と埼玉県に連絡したという。
待てど暮らせど、電話が来ないのでこちらから電話した次第だ。

午後から、来社して打ち合わせするという。
ガードレールを撤去して歩道を出入りに使用する場合、
補強工事は、現在では依頼側が負担するのだそうだ。

その定義にのっとると、この補修工事もうちが払うことになる。
しかし、なんやかやと理由を申し述べて、一応県が処置をしてくれることになった。

駐車場問題を理由に辞めたいとの意思を伝えてきた人一人。
これについては、本当に悩む。
良かれと思ってつくった駐車場が、
こんなに私を苦しめることになるとは思いもよらなかった。

なんとか、思いとどまっていただいた。
フェアとは、本当に難しいもの。何をもってフェアなのか。
悩んでいるうちに、夕方になってしまった。

4月13日(火)曇り

朝1Fの体制をつくる。

ベテランに新人のフォローをお願いするが、
条件をつけて、「そうしなければ出来ません。」と凄んできた。
今日は、休みが多く考えた上での判断だったが、
そう言われると、こちらも引くわけにはいかない。

「出来ないならいいよ、僕がやるから。」と、担当をはずした。
出来るからお願いをするのだ。
出来るベテランは新人よりも高い給与をもらっている。
高い給与の人が、低い給与の人をサポートするのは、
あたり前のこと。何度も説明してきたのに分かってない。
給与の格差がなくても、
出来る人は出来ない人の助けをすることを喜びとしてほしい。
そういうことが出来る人を昇給してきた。

人の助けをしたくない人はそれでもいい。
言われたことだけやっている人もいる。
昇給には反映しないが、そこそこ稼げればいいというタイプの人もいる。

次のステップに貪欲に取組んでいけない人は、
昇給を求める資格がないと思っている。

しばらくは、僕がやった。
本人が戻ってきたが、同じ担当に入れなかった。
別の新人に入ってもらったが、充分にやってのけた。

午前中、労務士と打ち合わせ。
仕事の手際がよく、いつも感心する。
昼に銀行をまわって、午後検査に入った。
順調に終わる。

さて、気がかりの読売夕刊。
外から電話が入る。記事が見当たらないと。
会社でも買ってきてもらった。
すぐにお詫びのメールを打った。

キーボードが見えない。
私の顔の方が大きく写っている。
会社名もキーボードについての記述もなし。

これでは、見当たらないのも無理はない。
今度は、記事を確認してからご案内しようと反省した。

4月12日(月)晴れ

研究会レポートのアップがHPのトップに完了。
業務連絡、小島氏ありがとうございます。

朝から、電話なし。急休みなし。

朝礼にて、先日のユニットの全品検査にこられた会社のことを話す。
トレーサビリティ。
うちにとっては、最小限の書類で対応できるよう工夫して、今日から初める。
もうひとつ、昨日父の一周忌を無事終えたことを報告する。
当時従業員の数14名まで父に報告したことを覚えている。
現在30名。現在のラインの原型をつくってくれた。父に感謝。
今のメンバーと一日でも長く仕事できるように、今日から前進を誓う。

怪我と火災に備えて損保の契約。
振込み金額の相違で指摘を受けて対応。
新聞掲載の資料を送付。(聖教新聞)
小ロット仕事の単価の交渉。
看板とシャッターのペイント発注。
これは、小島氏から「シャッターに何か書け!」と言われ続けてきたため、
やっと実現への一歩。会社を閉めたとたんに営業を始めるシャッター営業。

そして、運命の時が来る。
駐車場くじだ。
先日借りた第7工場敷地に車両を移動したい。
誰の車を移動するか?遠いので誰も嫌がる。
理由を考えて、私が独断で決めることも考えたが一長一短がある。
ならば、くじにしてしまえ。
とめられる車両台数で、くじを作って全員集合。
「いいね。決まったら言いっこなしだよ。」
今日のほとんどの人が当たりを引いた。ということは?
私の車がはずれになった。
明日から、私は本社に車を止められないことになった。
「社長は、人が良すぎるんだ。バカだな。」はい。
くじの作り方を失敗したみたいだ。毎月やることにした。

夕方、読売新聞の記者から電話が入った。
先日、取材になった記事が載ることになったと。
一時載らない方向だったようであきらめていたが、
慌てて、関係各位に連絡をした。

すぐに、数人から激励のメールが届いた。

4月10日(土)晴れ

ラジオで、高速は行楽の車で渋滞と流れる。

今日は、支給部品のユニットの問題で、
取引先が全品検査に来るというので出勤。

昨日、夕方発覚した問題で生産したものは、
うちが全品検査をした。

今日は、取引先が2000個以上あるユニットを全品確認するという。
しかも遠いところから、男性2名で来られた。

ただし、機能の問題ではなく、表示の問題。

ちょっとしたことで、大変な費用がかかることになる。
そういうリスクを乗り越える内部留保もなければ、
会社は成り立たない。気をつけねば。

それと、さすが大手のグループということもあって、
しっかりトレーサビリティされているために、
絞り込んでの検品が可能だったようだ。

書類嫌いの私も、さすがに、
そういう意味でのドキュメントは、リスク回避の意味でも必要かと思った。
さっそく来週から、検査・修理の結果だけでなく、
ラインの体制をドキュメントするようにしたいと思う。

大家さんに挨拶に出かけた。
父の時代から大変にお世話になった上に、
家賃も「若いもんが、がんばんだから応援してやらにゃ。」
と随分優遇してくれた。
現実は、私が頼み込んだのだが。
おかげで、ここまでこれた。

さらに、次の手を打ってくれていた。
本当に感謝にたえない。
早く、ご恩返しをしたいと思う。

帰りに、焼き豚を買いにひばりが丘へ。
研究会仲間の日疋さんが経営する人気の焼き豚。
店の構えがいい。入り口にて自作のビデオを流すなど、
誠実とやる気の伝わる店だ。

日疋さんには内緒だが、初めて食べた。
おいしかった。

4月9日(金)晴れ

昨日の御礼を言う。
9人の休みを難なく乗り終えた。すごいと思う。

給与の振込みや、支払いで午前中半分は使った。
一人一人手渡す中で、思ってもいない視点の話が出てくる。

昨日の研究会を受けて、毎日新聞の取材との話。
ありがたい。

別の件で、仕事の相談が入る。
やはり納期に追われて困っている話のようだ。
来週会うことにした。そういうことには、血が騒ぐ。

体調悪く、早めに失礼した。
手足に力が入らない。

私はこの会社で最後までやめることが出来ない人間だし、
生き続けていくことが大事だ。
頑張り続けて倒れました。はバカのすることだと教わった。

先に失礼して、休んだ。

4月8日(木)曇りのち晴れ

朝、気がかりの休みを確認する。
2人休み。予測もしない2人だった。
昨日、自分で決めたように行こうと思った。
「行くよ、行く!」

目の前で子供が唖然としていた。
再度電話で確認しながらラインを組んでみて、
対応できることが分かって、
やはり入学式にいくことにした。

2歳の子供がいて、私が入学式に行かなければ、
妻も本会場に入れない。

僕にとっては、会社に出るほうが楽だった。
会社のことを気にしながら、いてもたってもいられない気持ちで、
入学式に出席するのは、本当につらかった。
が、これは自分にとってもやりたいことをするための挑戦だった。

私の父は、大事なときにいつもいなかった。
「俺なんか親父はいつもいなかったぜ。」
いつも会社を理由に家族をなおざりにするのが、

美徳ともされるような日本の風潮。
親父に言われた一言が残る。
「お前たちのために仕事してるんだ。何が不満なんだ。」
こんなこと言われて喜ぶ子供がいるだろうか。

なにより、仕事は誰かのためにすることが励みになることはあっても、
だからといって、お前のためにやってやってるんだなんてことはありがた迷惑だ。

こういう日は、父親は出席することがあたり前だと思っている。
親友の葬式を、仕事を理由に欠席したことがある。
今でも後悔している。当時社長の許可が下りなかったからいけなかった。
もっと、強く言って行くべきだったと、今も後悔している。
3人目の出産に立ち会えた時の感動もそうだった。
1人目、2人目は、子供の出産なんか、父親が立ち会うもんじゃない。とか、
俺なんか、退院するまで仕事で会えなかったぞ、などという会社の上司の言い分で、
行くことが出来なかった。これも、行けばよかったと後悔している。

3人目の出産は、夜中ということもあって立ち会えた。
昼でも行っていたと思う。この時の感動は2度と味わえない。
妻がもう一人産む気がないからだ。

それはさておき、要するに思ったとおりにやることだ。
誰かの顔色を気にして生きていけば、その人のせいにすることになる。

マストとウォントの違い。
多くの日本人は、自分で会社を選んでおきながら、
一旦属すると、その会社の文句をいいながら酒を飲む。
一旦属したのだから、ネバならないとの発想。

多くの欧米人は、いくらでもある会社の中から自分で好きな会社を選ぶ。
自分で選んだ会社だから、楽しく、責任を持って仕事をする。
いやだったら、やめてしまえばいい。
自由な環境の中で、自分が選ぶ責任。

我慢することはない。やりたいようにやればいい。
子供のために我慢したり、会社のために我慢したり、
人のために我慢したりする必要はない。
それが励みでないのならば。。。

その後、研究会へ急いだ。

4月7日(水)晴れ

急休みゼロ。

昼から銀行を周った。
9日の給与の手当てをする。
大井町へ行ってから、所沢へ。

携帯が入る。一人急用にて退社とのこと。
「そういう場合には、こうして。」と手は打っていた。
が、帰社するとそうなっていない。
すぐに、指示を出した。

夕方、一人具合が悪くなった。
恐れていたことが起きた。
隣りの人の体臭がきついのが理由で、
嘔吐してしまったのだ。

前にもそういうクレームがあったが、
言うほうも言われるほうもいやだし、
あまり被害の出ない形で体制を組むようにはして、
そのままにしていた。

そもそも、私の鼻は花粉には敏感なのに、
匂いには鈍感なので困ったものである。
「社長!面接の時に嗅いでないんですか!」
と怒られたこともある。

具合の悪い本人はむしろ「すみません。」と、
自分の責任ととらえていたが、
このまま見過ごすわけにもいかず
遂に本人に注意をした。超の本人は自覚してなかった。

もう一人子供の具合が悪く、帰った。

明日の体制が心配になる。
予定ですでに、7人休み。
入学式で休みが重なった。

いつものホワイトボードに名前は入れてみたものの心配。
何しろ、自分がいないからだ。
私も、娘の入学式。
ものすごく後ろ髪をひかれる。

急な休み1名までは、体制が組めた。
あと2名休んだら、入学式をキャンセルしようと思う。

4月6日(火)晴れ

昨日から来た派遣2名。
1名は、ピックアップ場所に時間に来なかった。
営業から電話が入り、置いていかれたと。

タクシーでも来るようにお願いする。
午前中から、営業に出てしまったために、
その後分からなかったが、出先にて携帯に電話が入った。

その人からだった。
「合わないので、やめたいのですが。」

間髪入れずに、もう一人からも電話が入る。
「午前中やったんですが、ラインは合わないんですが。」
「別の場所をやらせていただけますか?
もしだめなら、これで帰ってもいいです。」

「あそー。」
昨日1日かけて必死に教えて、今日辞める。
「合わない?はあ?何様だ!」

彼ら2人の将来を案ずる。
目が死んでるのである。
何でもいいから、楽しく生きればいいじゃないか。
土下座して「お願いですから働いてください」なんてところはないぞ!

だからフリーターは、なめられんだよ!
しっかり生きろ!プライドを持て!

営業は、得意先を連れて1社訪問だったが、
帰りに、たまたま聞いたことのある会社を通りかかり飛び込んだ。
どちらも、話に花が咲いた。

印象的な話があった。
継続する安定したものは、中国、フィリピン、台湾へと流れて、
トラブルが起きると国内に持ち込まれるのだそうだ。
そのために金型も2つつくるという。

今に見ていろ!零細企業をなめると痛い目にあうぞ!
そのうち、「お願いですからやってください。」なんてときが来る。
必ず来る。大企業にぶら下がって生きていける時代はとっくに終わっている。

今に見ていろ!

4月5日(月)晴れ

深夜3時、研究会のレポートが完成し、メールにて提出。
この内容は後日。

急休みゼロ。月曜日の朝礼。
先日作成した原稿に基づいて、
会社の評価のあり方について語っていった。
会社にとってありがたい人とは。
だからといって、気にせずに思ったとおりに仕事してもらいたいこと。
どれくらい伝わっただろうか。

今日は、先週末に比べて9人増。
2Fの体制を充実させた上に、ラインの研修を重点的に行った。
そして、多能工リスト(その人が、どのセクションを出来るようになったかを示す表)を、
再生した。本当のリスク回避はどういう体制かを検討して、
次に研修してもらいたいところまで記してみた。

午前中、土曜日に生産の電源60台を出荷。
そして、来客。来客。来客。

今日学んだこと。
師匠と松下幸之助氏との語らい。
リーダーに求められる用件とは、
1包容力
2公平さ
3確信
4責任
5先見性
とのこと。

今日よりは、がっちり学んで、
何のための仕事かを模索していこうと思う。

4月3日(土)晴れ

いい天気だ。
月曜日出荷の携帯基地局の電源組立てを4名で行なう。
最低50台とのこと。

毎週そうだが、土曜日出勤者の仕事の早いこと。
休憩以外ほとんど一言もしゃべらず黙々と作業をこなす。
58台上がった。検査が追いつかないくらいだ。

夕方、同級生のガン(あだ名)が遠いところから来てくれた。
かねてより会社の話もしていたし、日記も読んでくれていた。
お陰で、会社のことを熟知していて、気持ち悪い。
「これが隣りの倉庫ね。」「ああ、あの人が川野さん。」と。

父の会社の経理を担当する。
苦労が多い中で奮闘中。
お互いに学園時代の原点を共有するもの同士。
ここで負けていられるかと誓いを新たにした。
誠実に仕事に取組んでいる姿勢に感銘する。
ありがたい。高校を卒業して約20年。
こういう仲間は、本当にありがたい。感謝。

そういえば、昨日深夜は小島とHPのことで打ち合わせた。
先週は、FMフジDJの石川実とジャパンスタイルについて語り合った。
佐川急便の石崎とは、チャーター便でお世話になっている。

いわゆるあぶらののっている世代なのだろうか。
仕事に意欲的で、問題意識を持っていて、
それぞれの世界で第一人者として戦っている。

俺も、負けてはいられない。
また、何か出来ることがあれば、皆の力になりたい。
何よりも学園時代、私の生きる哲学の根幹をつくっていただいた、
創立者池田先生に報恩感謝の日々だし、いつしか喜んでいただけるように成長した
い。

先生は、経営者となった今も尚、大事な視点を投げかけてくださっている。

先生曰く
指導的立場であればなおさら、哲学と豊かな人間性が求められる。
「利」の価値は、「善」の価値を土台にしてこそ輝くからである。
新しき世紀を人類全体が栄えゆく「調和の世紀」
へと築きゆくカギは、まさにそこにあるのではないだろうか。
(ビジネスとリーダーと語るより)

さて、ガンと別れて会社に戻った。20:30。
追いつかない検査が20台残っていた。
途中眠くなり、ソファーで休んで再開。
午前2時終わった。さあ、研究会レポート書かねば。

4月2日(金)晴れ

予定休み3名、急休み3名、遅刻1名。
ちょっと苦しい体制でスタートをした。

やはり無理があったか。
私は2Fにて作業を始めるものの、
1Fが気になる。降りてみると案の定問題発生だった。

1名研修で入っていたセクションのフォローがうまくいかず、
アクリルのケース内に異物を混入させた。
通常はしるしをつけて流すが、br 時間がなく報告も出来ずに流れてしまった。
しかも、そのことを思い出して報告があったのだが、
どのキャスターに乗っているのか分からないと言う。
検査員が全品検査にかかっていた。

それでなくても人数の少ない日。
私が代わった。100台ほどキャスターから降ろして、
確認していった。見つからなかった。

あたり前のことだが、報告があったことは評価したい。
万が一でも、「言わなければ分からない」なんて思いでもあったら大変なことだ。
担当者から「すみませんでした」とあった。
ミスを認めることは、責任感の現れだ。

1名具合が悪く昼に退社。
午後のお客さんとの打ち合わせ後にラインに入る。
これで、7名減。
来週月曜日は、予定休みゼロの上に派遣が2名新たに加わる。
つまり、今日から9名増になる訳で、むしろ体制組みに苦心する。

基本的には、4月中旬からスタートするラインのために、
1Fのライン研修を重ねる方向にした。
休みのリスク回避も兼ねる。

そういえば、昨日の夜に工場の賃貸借契約をした。
約1キロ先の向かい側。
当初4月頭スタートの仕事で使用するつもりだったが、
その仕事がずれ込んだ。設計変更になり、再評価中とのこと。

そもそも、こういう物件はタイミングが大事なのでしかたない。
なにに活かすかはじっくり考えてもいい。

第7工場という名前にでもしようか。2から6がないが。。。

4月1日(木)晴れ

朝、携帯が鳴る。鳴る。鳴る。鳴る。
予定休み2名のほかに急休み4名となる。
会社到着してすぐに、今日のラインを練り直す。
急休みは、不思議と重なるものだ。

朝の数台はさすがに、異物混入などがあったが、
不思議とそのあとは順調に行き、
検査チームは一名減らしてラインに追いついた。
お陰で、明日から1名少なく体制を組めることになった。

今日一日ラインに入ったために、いろいろと考えることが出来た。

まず、来週の朝礼での発表内容を練った。
現在の問題は、
①残業してもらいたい人と、残業をしたい人のミスマッチ。
②仕事がマンネリ化してきた為の雰囲気の問題。
この問題に対して、
①については、会社として残業してもらいたい人の人物像を明確に発表する。
それは、会社評価の高い人。簡単に言えば、
仕事が速く、正確で、何でも出来て、責任感があり、気持ちのいい人に、
残業をお願いしたいということだ。*詳細は下記に記載。
②については、多能性を持たせる研修を随時行ないマンネリを防ぐ。
グループや派閥をつくらせないし、急休み対策にもなる。

かなりのスキルを要する仕事は別だが、
半日でマスターできるセクションは、半月で成長が止まる。
成長が止まると今まで何でもなかった別の何かが気になるようになってストレスに
なったりする。
逆に仕事は、出来るだけ同じことを繰り返したいという守りに入る。
これが、新しい仕事にトライできない致命傷となる。

<会社評価の仕方>
現在、全員評価を5項目で、合計10点満点でつけている。
それぞれの項目0点、1点、2点で、以下の内容。
1品質→不良率が低く、安定しているかどうか。
2スピード→作業スピードが速いかどうか。
3多能性→多くのポジションをマスターしたかどうか。
4責任感→仕事に責任感をもっているか。
例:以下が責任感の現われとして見ている点。
次の日の資材の準備。 
計画的な休み(急な休みがない)。休む際の引継ぎ。
自分のミスを認める。自分のミスを報告する。
必要なことは関係者に連絡する。
自分で判断できないことは相談する。

上級編
取引先の求める品質を理解しているか?
ロット不良の予備軍への配慮をしているか?
ポカミス予防の対策をしているか?
(ミスの多い人の後にチェック機能をつける等)
納期を気にしているか。
今の仕事の人数とスピードで間に合うのかどうか?
間に合わなければ人の要請をしたか?
外注も活用した方法も考えているか?
効率のいい仕事を心がけているか。
もう少し早くできないか?
もう一人減らして仕事が出来ないか?
内職をうまく活用しているか?
過剰品質になって効率を悪くしていないか?

5協調性→他の人の立場に立って仕事できるか。
これは上げると切りがないが。。。
例:以下協調性の現われとしてみている点。
仕事の終わった後の片付け。
トイレットペーパーの交換。お茶の準備。
休みが多い日は自分の休みをずらす。
ゴミの片付けダンボールたたみ。朝の清掃。挨拶。
喧嘩しない。言葉遣い。

上級編 
取引先との協調性。 
得意先や協力会社とのやり取りを丁寧にできる。
MIYOSHIリーダーシップを発揮取れる。自分もできるし、人にも指示できる。